- 宇治金時と平等院

2005/08/27/Sat.宇治金時と平等院

宇治に行ってきた T です。こんばんは。

宇治紀行

先日の日記で「旨い宇治金時が食いたい」と書いたところ、元部長氏から「宇治に美味しい店がある」という情報を頂いた。ありがとうございます。なるほどなあ、宇治金時が食いたかったら宇治に行け、とは当然の話である。ましてや、今の俺は容易に宇治へ行ける場所に住んでいるのだ。こんなことに気付けないあたり、まだまだ新しい土地に馴染んでいないという証左である。

宇治金時を食べにだけ宇治に行く、というのも贅沢な旅行ではあるけれど、そこまで優雅ではないので、近くの平等院も訪れることにした。雑用を片付け、腹ごしらえをしてからブラリと宇治へ。暑い。かき氷日和である。

目指す茶屋に入り、宇治金時を注文すると、とてつもなく巨大なかき氷が出てきた。デカい。「ボリューム満点」とかそんなレベルではない。「常軌を逸した」、そんな形容句が頭に浮かぶ。しかしこれが旨いのだ。ザクザクと食う。食い続けること 15分。旨いのだが、身体が冷え過ぎて完食を断念する。やっぱデカ過ぎるよ、コレ。しかし夏の終わりを飾るに相応しい宇治金時であった。

茶を買ってから店を出る。そのまま歩いて平等院へ。写真も撮ったので、また適当にまとめてアップする予定。今は平等院博物館で買った写真集を眺めながら宇治茶を飲んでいる。ジジ臭いなあ。

「紙 = ディスプレイ」再論

1年前に「紙 - メモリにしてディスプレイ」で論じたことだが。

インターネットコム株式会社 と 株式会社インフォプラント が、携帯電話を利用しているインターネットユーザー 300人を対象に調査を行ったところ、電子書籍を購入しない理由は「読みにくい」がトップで、PC などで文章を読むとき苦痛を感じる文字数は「400字以上」がもっとも多かった。

書く方からすれば、いくら何でも 400字は少な過ぎる。デバイスとしてのディスプレイが劇的に進化しない以上、俺のような長文の日記を書く者にとっては、ちょっとした問題である。そこで次善的な対応として、各 web サイトの運営者は適度に小見出しを付けたり、行間を取ったり、1行当たりの文字数を調整したりと、様々な工夫を凝らしており、それらの多くは体系化されたテクニックとして各所で紹介されている。

問題は、これらのテクニックを電子書籍は取り入れているのだろうか、という点にある。小説を web サイトのようなレイアウトで配付するのは難しいかもしれないが、しかし読まれないことには意味がない。「とにかくディスプレイで文字を読むことはストレスなのである」という認識から始めないと。個人サイトですらそうなんだぜ。ましてや電子書籍は「商品」なんだから。