- Diary 2005/07

2005/07/31/Sun.

何もしない内に 7月が終わっていく T です。こんばんは。

怪談?

今の部屋は 4階建ての 4階にある。窓は駐輪場の方を向いていて、前方 20 m までの空間には何もない。毎夜、ここから笑い声がする。ドリフターズのコントに挿入される、笑い屋のオバちゃん達による「ドッ」という感じの歓声である。いきなり窓の外から大勢に笑われるので、不快というよりもビックリする。

ポイントは、この現象の発生が数日前からという点にある。この辺りは学生が多い。夏休みに入ったので、夜な夜な人間の集まる場がどこかに生じたのではないか。我が部屋の窓前方は例外だが、周囲はかなり建て込んでいる。同じ部屋で爆発する笑い声が特定の経路で反射され、何の因果か我が部屋に到達する……そんなところではなかろうか。そうであってくれ。

音楽日記

iTunes のパーティーシャッフルを使っていたら、山口百恵の直後に Deep Purple が流れてきて笑った。

いい日 旅立ち 夕焼けを探しに(山口百恵『いい日旅立ち』)

The sky is red. I don't understand.
空が赤い 理解できない(Deep Purple『Burn』)

何だこの差は。どっちも好きだけど。

2005/07/30/Sat.

うずらの卵を上手に割れない T です。こんばんは。

コンビニの割子そばが好きでよく買うのだが、いつも卵を割るときに手を汚してしまう。これから食べようとするときなので、誠に腹立たしい。何かコツでもあるのだろうか。

Web 日記

多群兄、KID JOE 兄とメッセンジャーで会話。数時間前に告知した代打日記について意見を頂戴する。要旨は二点。

  1. 悪い企画じゃなかろう。
  2. で、誰が書くわけ?

問題は二点目で、自分でもわかっているつもりだが、「トップバッターとして手を挙げるのはなかなか難しいのでは」ということ。だよなあ。やっぱり誰かに直接お願いするしかないか。本当は義兄弟に頼むのが最も無難なのだが、そもそも彼らと飲むからゲスト・エントリーが必要なわけで。

求む、蛮勇。肩肘張るような企画でもなし、夏の思い出に。

2005/07/29/Fri.

初給料を頂いた T です。こんばんは。

ありがたいことではあるけれど、1日から月末までの給料が翌月末に支給されるってのは、ちょっと遅いよな。そういうシステムだから仕方ないが、割と苦しい日々であった。勤務開始も予定より遅れたからなあ。ま、これで明日からは自分の足で歩けるわけで。おぼつかない足取りだけど。やれやれ。って、疲れている場合ではない。

今日は気分を変えて、帰宅してからはずっと椎名林檎ばかりを聞いている。良過ぎるよ、林檎様……。踏みにじられたい。本気で。

2005/07/28/Thu.

疲れ気味の T です。こんばんは。

こういう話題はあまり取り上げたくないのだが。

公明党の冬柴幹事長は、衆院解散・総選挙で自民党が敗北した場合の対応について「民主党と組みたくないが、政治の安定のため選択肢がそれしかないなら躊躇すべきでない。民主主義は数だ」と述べ、民主党との連立の可能性に言及した。(毎日新聞)

「民主主義は数」か。名文句だな。外国に教えるのがもったいないくらいだ。頼むから配信しないでくれ。

ここ数日、帰宅してからはずっと山口百恵ばかりを聞いている。良過ぎるよ、百恵様……。踏みにじられたい。本気で。

2005/07/27/Wed.

電車の中ではおけいはんを眺めている T です。こんばんは。

電車に乗ってくる中高生が少ないと思ったら、もう夏休みなんだな。羨ましいが、電車の席が空くのは歓迎だ。

毎朝同じ列車の同じ車輌に乗っていると、よく見かける人の顔は覚えてくる。非常に残念なことに、かなりの高確率で佐野史郎似の男性が俺の対面に座ってくる。何が気に入らないのか、いつも鬱陶しそうな顔をしている。声は聞こえないものの、ブツブツと呟いていることも多い。失礼を承知で書くが、極めて不愉快である。

今日気付いたのだが、この男性は俺と同じ駅で下車しているのである。改札で何気なく振り返ったら、背後に彼が立っていたので心臓が止まりそうになった。もう少しで、「あっ、佐野!」と口走るところであった。さすがにそれはマズい。

彼がどこに向かうのか、知りたいような知りたくないような。幸い、覇気のない彼の歩みは緩慢であり、尾行してやろうかというささやかな誘惑は殺がれた。あとは職場が同じでないことを祈るだけである。さすがにそれはないだろうけれど。と思いたい。いや、一緒でも良いけどさ。

2005/07/26/Tue.

半年前の履歴とかが平気で残っていたりする T です。こんばんは。

昨日は職場に携帯電話を忘れてしまい、今朝は目覚ましのない状態で起床するハメになってしまった。起きれたから良かったけど。

携帯電話といえば、今月の電話代の請求書がトンデモないことになっていた。もともと俺はあまり電話をする人間ではない。いつも電話代 = 基本料金という状態である。それがウン倍にも跳ね上がっていたので驚いた。遊んでくれる人間がいないゆえ、旧知の友人に長電話を繰り返したのが原因である。しばらくはメールやメッセンジャーで代替するか。寂しいのお。

それにしても、ネットは定額制なのに、どうして電話は定額制にならないんだ? 回線だろうが電波だろうが、使っているインフラはネットも電話も変わらないと思うんだが。これまで電話に関心がなかったので、料金体系なんかも全くわからない。もう少し安くする方法もあるのだろうが、負けたみたいで何かイヤだ。

2005/07/25/Mon.

定量的なことは苦手な T です。こんばんは。

単位と定量性

何かを定量的に扱おうと思えば、まずは単位をしっかり定義しなければならない。が、サイエンスの世界においても、それが混乱している場合がある。同じ熱量でも、ある場面では J(ジュール)が使われ、別のところでは kcal(キロカロリー)が使われる。どうにかならんものかと思うが、そこにはやはり理由がある、と俺は推察する。

日本古来の度量衡がそうであったように、単位は、その定量性を人間が想像しやすいように設定されることが多い。例えば、人間が両手を左右に広げた長さを「尋」といっていた。「あの川の幅は 10尋」といえば、「10人の人間が手をつないだ長さだな」となるわけである。正確ではないが、実感しやすい。これが「川幅 18 m」となると話は違ってくる。

「その、メートル、ってのは何だい」
「1 m は、1/299,792,458秒の間に光が真空中を進む距離でさあ」
「……で、18 m ってのは結局どれくらいなのかね?」

我々が容易に 18 m という長さを想像できるのは、単に慣れているからである。日本人は徹底的にメートル法で教育を受けているから(素晴らしいことだ)、マイルやノットという単位が出てきてもピンと来ない。それと同じ。

ジュールでダイエット

タンパク質の立体構造科学という、最も定量的な生物学の分野では、いまだに Å (オングストローム; 10-10 m) が使われている。実はこれ、正式な国際単位ではない。本来なら、nm (ナノメートル; 10-9 m) もしくは pm (ピコメートル; 10-12 m) で記述することが望ましい。にも関わらず、どうして Å が愛されているのか。やはり「使いやすいから」というのが一番の理由だと思う。Å を使えば、だいたいの話は 1〜10 Å の間で済む。これが nm だと 0.1〜1.0、pm だと 100〜1,000 のレンジになってしまい、記述がウザくなる。直感的な理解も低下するだろう。

だから、kcal という単位も必要だと思うわけだ。成人男性が 1日に要求するエネルギーは約 2,000 kcal だが、これは約 8,400,000 J でもある。「840万ジュール」って聞けば、メチャクチャ食えそうじゃない? ひょっとしたら、kcal という単位によって、2,000 前後という想像の及びやすい数字で熱量が示されているから、ダイエットが可能なのではないか。ジュール表示にしたら、途端にダイエットを放棄する人が現れそうだな。そうなってしまうと、栄養学者がどれだけ定量的な研究をしたところで無駄になる。大袈裟に言えば、だが。

正確であったり、よく定義されていたりということも大事だが、そもそもは誰のために単位があるのかという話。

2005/07/24/Sun.

のび太のような休日の過ごし方をしている T です。こんばんは。

いくら寝ても寝足りない。いや、多分足りているんだろうけれど、それでもまだ眠い。今日の主な活動は、机でコーヒーを飲むための布製コースターを買ったことくらいか。150円也。

本当にバカみたいな話だが、コースターのある生活ってのは良いな。一人暮らしをやっていると、全てがダイレクトなのである。服はタンスに入っていないし、食器は食器棚にない、布団は敷きっぱなし。出かけるときは床から服をつまみあげる、食べるときは転がっている食器を使う、寝るときは布団に倒れ込む。そこには何の緩衝もない。だからコースターのような、行為の本質には無関係のアイテムを我家でわざわざ使うことは珍しい。それが何か嬉しいのである。コースターでここまで盛り上がれるのもどうかと思うけれど。

その布製コースターも、1週間後には机の上を拭くための雑巾になっていると思う。賭けても良い。

2005/07/23/Sat.

カーテンがないとクーラーが効きにくいことに気付いた T です。こんばんは。

酒宴日記

昨夜はラボの方々と京都駅前のビアガーデンに。学会の打ち上げという名目だったようだが、俺は学会に参加してないんだよなあ。まァいいか。

研究日記

全く別の分野に飛び込んだので、勉強しなければならないことは多い。論文を読むのに疲れたら、学部生が読むような教科書で気分転換をしている。これはこれで楽しい。意外な発見もある。

初めて DNA が単離されたのが 1869年、DNA が遺伝情報であることが示されたのが 1944年である。ワトソンとクリックにより、DNA の二重らせんモデルが提唱されたのが 1953年で、これは俺の両親が生まれた頃である。この後、毎年のようにノーベル賞級の発見が続くが、肝心の DNA をクローニングできるようになったのは 1970年代に入ってからである。最初のトランスジェニック・マウスが作られたのは、何と 1981年、ショウジョウバエは翌 1982年である。俺が生まれた後じゃないか。さらに、PCR の発明に至っては 1985年! 今年で 20年目という、驚くほど若い技術である。

警察や司法が、我々からすれば信じられないくらい DNA 鑑定に慎重なのも、何となくわかる気がする。彼らが問題にしているのは、分子生物学の技術的・倫理的側面ではなく、その「時間的」実績のなさではないか。保守的な組織だから仕方ないようにも思える。革新的な裁判所ってのもイヤだし。

生物学の技術は急速に一般化している。これは素晴らしいことであり、同時に怖いことでもある。ずっと新しい知見や技術を追いかけ続けねばならない。大変な道を選んでしまったことに、後悔 闘志が湧いてくる。

2005/07/22/Fri.

缶コーヒーもコーヒーも好きな T です。こんばんは。

缶コーヒーは「缶コーヒー」という飲み物であって、コーヒーではない。別の飲み物である。だからコーヒー党の、「缶コーヒーなんてコーヒーじゃねえよ」という意見には賛成だ。しかし、それで缶コーヒーの価値が減じるわけではない。

思うに、缶コーヒーはコーヒー牛乳の系譜につらなる飲料である。俺はコーヒー牛乳も好きだ。感情移入の度合いは、缶コーヒーより大きいかもしれない。コーヒー牛乳に感情移入しているのは俺くらいのものだろうが、そこには日本人の切ないストーリーがある(と俺は思っている)。

散切り頭を叩いてみれば、コーヒー牛乳の味がする

要するに、コーヒー牛乳は飲料界における鹿鳴館ではなかったか。

「文明開化だっぺ」
「異人さんはコーヒーっちうのを飲んどるそうな」
「わしらも飲んでみるっぺ」
「苦ッ!」
「こら、吐き出すでねえ。散切り頭が泣くど」

……とまあ、このようなやり取りがあったと推測する。そのうち彼らは、コーヒーに牛乳と砂糖を入れて飲みやすくするという習慣を学習する。そして、彼らの口に合うまで牛乳と砂糖を加え続けた結果、コーヒー牛乳という奇天烈な飲料が誕生したのではないか。

コーヒーが日本に伝来したのは、江戸時代の長崎であったという。『長崎見聞録』には、

かうひいは脾を運化し、溜飲を消し、気を降ろす。よく小便を通じ、脾臓を快くす。

とある。まるで薬だ。これは無論、コーヒーに実際の薬効があるからではない。コーヒーを飲んだ日本人が、「これは苦い。メチャクチャ苦い。しかし毛唐はコーヒーをガブガブ飲んでいる。こんな苦いものを毎日飲むのは、何か効能があるからだろう。恐らく薬に相違ない」と、勝手に思い込んでしまったからではないか。つまり、それほど日本人にとってコーヒーは苦かったのである。

そんなマズいものを、どうしてコーヒー牛乳にしてまで飲まなければならなかったのか。そこで俺は鹿鳴館を思い起こすのである。無理をして築いた西洋風の檻の中で盆踊りダンスを踊る日本人と、顔をしかめながら「旨い旨い」とコーヒーを胃に流し込む日本人は、同じメンタリティーを持っているように思える。その光景が、俺にはたまらなく切ない。この滑稽なまでの欧化が、良くも悪くも繁栄した現代日本の礎となっている。俺は日本人としてコーヒー牛乳を誇りに思うが、しかし同時に、ビン入りのコーヒー牛乳を見かけるたびに重くて辛い気恥ずかしさも覚える。

もはやコーヒー牛乳ではない

そこで缶コーヒー、となるわけだ。カチャカチャと音を鳴らしながら自転車で宅配・回収されるコーヒー牛乳が、かつての日本の貧しさを思い起こさせるのとは逆に、自動販売機で購入され、飲み終わればゴミとして廃棄される大量の缶コーヒーは、モノ作り世界一となって西洋コンプレックスを脱却した消費大国日本の、明るくてポップな「良い一面」(とカッコ付きで書いておく)の表象ではないか。だから俺は、「仕事の前の缶コーヒー」「仕事の合間に缶コーヒー」というのは、缶コーヒーの消費の仕方として極めて正しく思う。

「大人になってブラック・コーヒーも飲めない男なんて」という側面が、いまだに「本当の」コーヒーにはある。21世紀になってなお、コーヒーは日本人にとって「背伸びのアイテム」という一面を持つ。缶コーヒーは、そのような風潮とは無縁に、伸び伸びと消費量を拡大している。

そもそも地政学的に、日本人がコーヒーを飲む必然性はない。水が旨い日本では、茶などで香り付けした程度の飲料で充分に嗜好品として成立する。大航海時代の香辛料と同じで、要するにコーヒーは、「飲めたものではない水を、どうにか飲めるようにするための方便」にしか過ぎなかった。刺し身にできるような鮮魚が手に入らないから、仕方なく薫製を食っているようなものである。元来が旨いわけがない。「背伸び」になるのも当然だ。ひょっとしたら昔の日本人は、コーヒーを飲めば西洋人みたいにデカくなれるとでも思ったのだろうか。

デカくなる必要なんて全くないのにな、と思えるのは、俺が 21世紀にいるからである。当時の日本にそんな余裕はなかったであろうことを思うと、俺はまた切なくなるのである。妄想し過ぎだろうか。ちょっと病的な感情移入だよなあ。

2005/07/21/Thu.

インテリアには興味のない T です。こんばんは。

注文していた机と椅子が届く。これから部屋を片付けて、机と椅子を組み立て、パソコンその他の配線も全部やり直して……。終わるのか?

新しい部屋を探すときに、どうしても譲れない条件として「2部屋」というものがあった。学生の間は 1K の部屋に住んでいたので、生活空間も精神的な空間も一緒になっており、これをどうしても切り離したかったのである。要するに「書斎」めいたものが欲しかったわけだ。

で、今は希望通りの間取りに住んでいるのだが、これまでゴタゴタとしており、一部屋は完全に物置と化したままだった。このままではイカンと思い、とりあえず机と椅子を導入することにしたのである。懸案の本棚など、まだまだ揃えたいものは沢山あるが、ボチボチと部屋を作っていこうと考えている。

机や椅子より、まずはカーテンを買わねば。見られたって構わないけど。

2005/07/20/Wed.

25歳になった T です。こんばんは。

色々な方からメールや電話を頂いた。ありがとうございます。これで人生の約 1/3 が終わったことになる。この長い時間を、社会的にはひたすら助走期間として使っていたわけで、まずはここまで面倒を見てくれた両親に感謝。そして、これまで出会ってきた多くの方々に感謝。

多群兄からのメールに「刻々と三十路が近づいてきていますが」というフレーズがあった。最年少の俺でさえも、四捨五入すれば 30歳という年齢に達し、彼らと飲み明かしていた 10代の自分という情景がもはや信じられない。よく「10年後に同窓会を開こう」などと語っていたが、早くも半分の時間が過ぎ去ってしまった。その間、俺は何を成したのか。これから、何かを成し遂げるのだろうか。

ま、そんなことよりも、全員が無事に 30代を迎えられるかどうかという方が問題だ。一人くらい死んでるような気がするんだよな。お互い、身体だけは大事にしたいものだ。という台詞がオッサンやねん。

2005/07/19/Tue.

「あれだけ努力をしたのに」という輩が大嫌いな T です。こんばんは。

努力と結果

努力と結果には何の関係もない。努力は「私」がするもので、つまり主観的なものであり、結果は他者が採点するもの、つまり客観的なものである。そこに連続性はない。結果を見る側からは、あなたが努力したかどうかなんてわからない。意地悪く言えば、興味も関係もない。そのことをまず、しっかりと頭に叩き込もう。

その上でなおかつ、努力は重要であって、というよりも前提条件であって、報われないかもしれないことを冷たく理解しつつ、延々と精進しなければならない。この御時世、ちょっと能力のあるヤツは誰もが努力している。そんな人間がしのぎを削っている中で、少しでも頭を出してやろうと思うのならば、「努力が云々」などとホザいている暇はないはずだ。自らの無能を露呈しているようなものである。

努力は隠せ

「努力を隠す」というのは、奥床しい日本的美的感覚のみならず、対人交渉技術の観点から見ても、正鵠を射たパフォーマンスである。あなたが何かの面接官だとしよう。死ぬほど努力をして 80点を取った人間と、サラリと 80点を取った人間、どちらを採用するか。人それぞれの考え方があるだろうが、俺なら後者を採用する。無論、彼の 80点だって、死に物狂いの努力をした結果なのかもしれない。しかし少なくとも、それを「売り」にしないだけの余裕が彼にはある。「全く努力をしない人間」と受け取られては薮蛇だが、本当に努力をしている人間がそう思われることはない。

誰かに評価されたいという欲求は誰にでもある。ならばなおのこと、努力の痕跡は隠すべきだ。他者が評価するのは、あなたの努力ではなく結果である。そして、結果を出すために努力するのは当然のことで、それがアピールになることはない。「これだけ努力しました」だって? 冗談じゃない。

以上、自戒を込めて。

2005/07/17/Sun.

「絵」に感動したいがために映画を観る T です。こんばんは。

映画日記

『STAR WARS Episode III Revenge of the Sith』を観てきた。「新 3部作の中で最も面白い」という前評判が高かったが、期待を裏切らない出来栄え。まァ、「アナキン・スカイウォーカーがダース・ベイダーになる話」を、つまらなく作る方が難しいとは思うが。

逆に観たくないのが『姑獲鳥の夏』だな。あの小説を映画にしたところで、面白くなるわけがない。仮に面白かったとしても、それは「映画であるゆえの面白さ」であって、ならば別に『姑獲鳥の夏』である必要もないんじゃないか。と、観てもいないのにそのような評価をするのもアレだが、しかし俺には『姑獲鳥の夏』という小説があればそれで良い。

2005/07/16/Sat.

祇園祭に行ってきた T です。こんばんは。

木曜日のリベンジで、祇園祭に行ってきた。今夜は宵山。歩行者天国となっている四条通りを歩いてきたのだが、人、多過ぎ。

祇園祭

そもそも、皆どこを目指して歩いているのであろうか。かくいう俺も、無目的に歩くばかりなのだが。というか、歩みを止めた途端、後続の人間に踏みつぶされるであろうという状態。ただひたすら、人の流れに翻弄され続ける。

そのうち、山鉾が見えてくる。

山鉾

デカっ。

山鉾を幾つか見て回った後は、烏丸通の屋台で適当に買い食い。何年かぶりで、祭りらしい祭りに行ってきたような充実感を覚える。けど、人、多過ぎ。多分、来年は行かない。

2005/07/15/Fri.

「Science」というトップ・カテゴリを作った T です。こんばんは。

学生の頃からの習慣で、研究関係の書類は(たとえそれがメモ書き程度であっても)できるだけデジタル化しておくように努めている。というのも、比較的短時間でレポート等を作成する必要があったからで、可能な限り検索性と再利用率を高めるための措置である。

今回、それらを web 上で展開できないかということで、試験的に開設してみた。勉強したこととか、論文中の使えそうなフレーズ、abbreviation や M&M などをボンボン放り込んでみようと思っている。それが何らかの利便性を生むかどうかはわからないけれど。普通の人が見ても、あまり面白くないページであることは保証する。

サイエンスとは関係のない話だが、「情報は、情報を発信する人(あるいは場所)に集まる」という不思議な性質がある。そしてまた、誰がいつ利用するかわからない情報でも、とりあえずゴロリと転がしておくというのも、ネットならではの情報発信の仕方じゃなかろうか。だからまァ、手間をかけずに情報を垂れ流して、それで何か面白いことが起きれば愉快じゃねえの、というね。

2005/07/14/Thu.

祇園祭に行きそびれた T です。こんばんは。

祇園祭に行こうということで、ボスに連れられてラボの皆と食事。が、呑んでいるうちに祭りが終わってしまった。ただの飲み会じゃないか。良いけど、別に。週末にでも個人的に行ってみようか。

飲み会に参加した面々の中で、ボスを除いて俺が最年長。若い。酔った 20歳なんかには、もうどう対応するべきかわからない。対応する気もないが。ニヤニヤと観察しながら呑むのは楽しかった。

2005/07/13/Wed.

停電でパソコンの電源だけが落ちた T です。こんばんは。

母が京都に来たので、祇園で飯を食ってきた。旨かったけど、素材の判別がつかないほど凝った料理だったので、結局何を食ったのか判然としない。

2005/07/12/Tue.

定期を買いそびれた T です。こんばんは。

研究日記

午後から、磁気式のセル・ソーター (MACS; magnetic-activated cell sorter)、マイクロプレート・リーダー、真空凍結乾燥機の講習。狭い部屋に大人数が入ってのことなので、何もしていないのに疲れる。

マイクロプレート・リーダーの解析ソフトは英語なのに、ひな形書類のファイル名が「HINAGATA」となっていた。何かこだわりでもあるのだろうか。

2005/07/11/Mon.

まさか職場でも同じ台詞を聞くとは思っていなかった T です。こんばんは。

あくまで suggestion なんだけど、と前置きしてから先輩が言う。「大学院、受けてみたら?」

うーん。大学院に関して現在の俺がどう考えているか、ということについては書かない。これまで散々進路のことで悩んできたから、今はただ、給料を貰って目の前の仕事を片付けるというシンプルな生活に没頭したい、という気持ちが強い。正直、その問題を検討するのは疲れる。いずれ考えなければならないにしても。

っていうか、そもそも医学部の大学院に合格するとは思えないんだが。

2005/07/10/Sun.

ラーメンやカレーはファストフードだと思っている T です。こんばんは。

もはや「日本食」と言ってしまっても良いとすら思えるラーメンやカレーだが、俺はどちらも好きである。インスタント食品の二大巨頭である彼らには、これまでどれだけ助けられてきたかわからない。

そんな俺だが、別に「旨い」ラーメンやカレーを食いたいと思ったことがない。「行列ができるラーメン屋」なんて勘弁してほしい。というか、そもそも「食べるために行列を作って待つ」という行為が理解できないんだが。俺はソ連邦の我慢強い英雄的少国民ではない。

旨いラーメンを食す方法は実に簡単で、泥酔してから寝起きに食べれば良い。1時間かそこら並ぶよりも、よほど贅沢な食べ方ではなかろうか。身体を張っての真剣勝負。犠牲を伴わない美食は、いずれ飽食となる。ラーメンを食うためだけにそこまでするのも微妙だけれど。

2005/07/09/Sat.

脂肪細胞は筋肉細胞と由来が近いため、何となく親近感を覚える T です。こんばんは。

今日は「肥満と脂肪 (1)」の続き。

肥満と成人病

「肥満自体は決して病気ではない」と前回にも書いた。肥満は、高脂血症 (hyperlipidemia)、高インスリン血症 (hyperinsulinemia)、高血圧 (hypertension) などのリスクファクターではある。が、肥満の人間全てがこれらの症状を呈するわけではない。発症しない限り、肥満は潜在的なリスクファクターでしかない。

重要なのは、肥満によって惹起される高血圧などが、糖尿病 (diabetes) や動脈硬化 (arteriosclerosis)、梗塞 (infarction) といった、より凶悪な疾患のリスクファクターでもある点だ。すなわち、肥満を抑制できれば、これらの重篤疾病を未然に予防できる可能性が高い。

現在、成人日本人の 1/4 が成人病(生活習慣病)およびその予備軍とみなされている。成人病は根治が難しく、治療費も高額である。肥満を抑制できれば相当の医療費を削減できるという試算もあり、近年、各国で肥満 = 脂肪細胞の研究が盛んに行われている。

脂肪細胞特異的な遺伝子群

ヒトゲノムが解読された後、各組織細胞における発現プロファイルの比較が行われた。全ての細胞は同一のゲノムを持っているが、同じように遺伝子を発現しているわけではない。筋肉でしか発現しない遺伝子(組織特異的)もあれば、細胞分裂の一時期にしか発現しない遺伝子(時期特異的)もある。例えば、他の細胞と比較して筋肉でしか発現していない遺伝子があれば、それは「筋肉を作るための遺伝子」「細胞が筋肉として働くための遺伝子」である、と推測できる。これらの遺伝子群の重要性は言うまでもない。

で、脂肪細胞 (adipocyto) 特異的な遺伝子群の解析も行われたのだが、その結果、脂肪細胞は多数の分泌タンパク (cytokine) を発現する生体最大の内分泌器官である可能性が示唆された。それまで、脂肪細胞の機能は「脂肪を溜め込む」以外にハッキリしておらず、細胞生物学的な報告もほとんどないという状況であった。

これまでにも、肥満と各種疾病の強い相関関係はよく知られていたが、その分子的基盤は全くわかっていなかった。そこで、にわかに脂肪細胞が分泌するタンパク質 (adipocytokine) に注目が集まったというわけ。現在、肥満性疾患の多くは「脂肪細胞由来の adipocytokine による炎症」というふうに認識が改まりつつあるらしい。

覚書

次回は、幾つかの有名な adipocytokine と脂肪細胞の分化について、その分子的な機序をメモ書き程度に記そうかと考えている。あまり一般的な話題ではなくなりそうだけど、俺もまだ知らないことばかりなので、そんなにややこしい話はしない(できない)と思う。

2005/07/08/Fri.

細胞培養に興味を持っていた T です。こんばんは。

研究日記

Primary culture
(細胞の)初代培養。組織から採取した細胞(初代細胞)の培養をいう。心筋や神経細胞は基本的に増殖能を持たないので、培養というか「分裂しない細胞をシャーレ中でできるだけ生かし続ける技術」と捉えた方が良いのかもしれない。

「心筋の primary culture の系を立ち上げて」とか言われる。何がキツいって、俺、細胞培養の経験がないんだけど。一応その旨を伝えると、「勉強だと思って。時間がかかっても良いから、じっくりやってみろ」というムチャクチャなありがたいお言葉。まァ俺も、様々な経験をしたくて畑違いの分野に飛び込んできたわけだから、良い機会だし、挑戦させてもらおうかと。他の細胞も飼っているようなので、まずは細胞培養がどんなものかというところから見聞しようと考えている。……長い道程だな。

ウチのラボには、まずボスがいて、その下に数名の先生がおられる。そして流動研究員が一人と、10名ほどのテクニシャンが雇われている。あとは俺。理学部だと、流動研究員 = ポスドク、テクニシャン = 修士卒、というイメージが強いんだけれど、医学部はちょっと違う。医学部には修士がなく、学部卒業 = 医者であるから、大学院生のときから「先生」となる。そもそも医学部の大学院生は極めて少ない。それも当たり前で、わざわざ医学部を卒業して研究者になる人は珍しい。

そういうわけで、理学部では主戦力となる院生、ポスドクという存在が医学部にはほとんどいない。いたとしても、俺のような他学部出身者である場合が多い。先生方は研究者である以前に医師であり、医者としての仕事も山積しているから、常にラボにいるわけではない。一方で、テクニシャンのほとんどは専門学校卒である。だから、今ある実験系だけで仕事をする分には困らなくとも、新しい系を立ち上げたりしようとすると、人材の微妙な真空地帯が生ずる。そこに放り込むために、先輩や俺のような研究員が雇われる。マルチプレーヤーというか、何でも屋というか。ある程度自立的に研究できる人間ならば、結構歓迎される。あれだけ「仕事がない」と言っていたのがウソのよう。盲点だったな。

数年間、武者修行するには良い環境だと思う。問題はその後だが、それはまた別の話。

2005/07/06/Wed.

数年前、バイトの後輩にベッドを譲った T です。こんばんは。

万年床ではない、「高さ 0 cm のベッド」なんだ! そう思えば、布団を上げないことに対する罪悪感から解放される。お試しあれ。

2005/07/05/Tue.

怪しい論文に出会うと、ニヤリとしつつも複雑な気分になる T です。こんばんは。

研究日記

業績を溜めるのが難しいのはわかるけどさ。

日本学術会議に参加する学術団体のうち 113学会で、論文のデータ捏造や盗用といった会員の不正行為が内部的に問題になっていたことが、同会議が行ったアンケートでわかった。

研究者として倫理的に問題がある行為が、1999年以降の 5年間に学会の役員会などで話題になったケースがあるかどうか尋ねたところ、113学会が「ある」と回答した。不正の内容で最も多かったのは、論文の二重投稿で 67学会。論文やデータ盗用の 23学会がこれに続き、データの捏造、偽造は 6学会であった。さらに、「学会の名前を利用した商売」という回答もあった。(読売新聞)

犯罪がいけないのは当然のことだが、中でも「それだけはやるな」というのが、どんな仕事にもあるだろう。研究者がデータを捏造するのは、小学校の教師が児童を襲ったり、消防士が放火するようなものである。背信ってやつだ。これならまだ、研究費の私的流用の方が共感を持てる。真実が知りたくないのならば、研究者になる必要なんてないじゃないか。色々と事情があるのもわかるけど、ダメなもんはダメだろ。

2005/07/04/Mon.

眠い T です。こんばんは。

研究日記

月曜日は 21時からミーティングというステキ☆なスケジュール。今夜は日付が変わる前に終わったのでヤレヤレ。寝る!

2005/07/03/Sun.

自炊に精を出している T です。こんばんは。

Web 日記

サイトをゴチョゴチョとイジる。見た目はほとんど変わってないけれど、これからの拡張を目論んでの整備めいた作業を少し。コンテンツを作る時間があるかは微妙だが、あれをやろう、これをやろうと考えながら手を動かしているときが一番楽しい。焦る必要なんてどこにもないし。

サイトを運営し出して、はや 4年目である。何度かリニューアルを行ったが、基本的に全てのコンテンツを引き継ぐようにしているので、ファイル容量は増加の一途をたどっている。大した数ではないけれど、アクセス数も右肩上がりで推移している。

どこまで行くんだろうな、という他人事のような漠然とした関心はある。アクセスを稼ぐことを目的とするつもりはないが、全く気にならないといえば嘘になる。ゲームの経験値みたいなもので、増えれば嬉しいわな。いずれ増加率も 0 となり、そのときにはサイトの拡張も止んで、ただ淡々と日記を書き綴るだけの定常状態が訪れるだろう、という予感もある。そうなれば、また他のことに興味が湧くかもしれない。

それにしてもホント、どんな人がここを読んでいるのだろうか。

BMI Calculator

先日の日記の冒頭でも触れた BMI(体格指数)について、「BMI Calculator」というスクリプトを組んでみた。身長と体重を入力すれば、BMI と肥満度を測定できる。

簡単なプログラムだから JavaScript でやっつけようとしたのだが、思わぬところでハマってしまった。普通、「a の 2乗」は「a^2」と書く。しかし驚くべきことに、JavaScript にはべき乗の算術演算子がないのである。いちいち「Math.pow(a,2)」と関数を使わなければならない。こんなところで間違えているとは思わないから、思い至るのにかなりの時間を費やしてしまった。気付くか、そんなの。

面倒だから「a*a」で済ましたけどな。

2005/07/02/Sat.

1日を無駄に過ごした T です。こんばんは。

毎週土曜日は洗濯デーなのだが、朝からあいにくの雨。仕方なく二度寝したら、次に意識が戻ったのは 21時。どうなっているんだ。明日も雨のようだし、これから部屋干しでもするかな。

研究日記

どういう流れの話であったか、「研究して給料が貰えるんだから、それだけで幸せ」という趣旨の発言をしたら、「そんなことを言っているから理学部の人間は安い労働力として買い叩かれるのだ」と先輩(獣医学部出身)に切り返された。先輩の旦那氏も理学部出身で、やはり俺と同じようなことを言うらしい。

「研究と報酬」でも書いたが、研究という行為を給料で評価することは難しい。普通、給料というのは「利益の再分配」である。彼が働くことによって、企業などの利益追求団体は利潤を得る。だから、その中から成績に応じた給料が支払われる。シンプルだ。しかし研究というのは利益を求めているわけではなく、経済的に見れば、ただひたすら消費しているばかりである。そんな我々に与えられる給料の多くは、税金を財源としている。「ありがたい」と思わねばバチが当たるだろう。

一方で、先輩の意見にも耳が痛い。特に基礎研究の世界ではそうなんだろうが、朝から深夜まで実験、実験の連続で、時給換算するとトンデモなく低い賃金で働いている研究者も多い。彼が優秀であればあるほど、支払われる給料は「安い」といっても過言ではなくなる。そんな状況において、「働けるだけで幸せ」という発言は「ヌルい」と評価されても仕方あるまい。近年、(文系と比較しての)理系の不遇はだいぶ知れ渡るようになってきたが、まだまだアピールされても良いとは思う。

どうやってアピールするか、というのが問題である。研究者で労働組合でも結成するのか? その絵を想像しただけで笑えるんだが。というか、そんなことに割く時間があるなら実験するけど。というところで、問題は冒頭に戻ってしまう。救い難いな、理系は。

2005/07/01/Fri.

長年使っている皿の底面に亀裂が走っている T です。こんばんは。

いつ割れるか、いつ割れるかと不安におののきながら、スリルに溢れた食事を楽しんでいる。熱い汁物なんかを入れた日は最高だ。以前、バイトの先輩が、「100円均一で買った土鍋で雑炊を作っていたとき、何の予告もなく鍋が真一文字にバカッと割れた」という話をしていた。亀裂皿を使うたびに、このエピソードを思い出す。