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2005/04/19/Tue.スタートライン

バイト友達と呑んできた T です。こんばんは。

引っ越し日記

年末から洗わずに放置している鍋のことを覚えておられるだろうか。実はまだ、残飯が入ったままなのである。昨日の日記で、「面倒臭いものほど後回し」などと書いているが、この案件はもはや「面倒」の域を超えている。いっそのこと、鍋ごと捨ててやろうかとも思ったが、そんな粗末な真似はできない。

引っ越しは明後日に迫っている。明日くらいは穏やかに過ごしたい。思い切って、鍋の蓋を開けてみた。

寒けがした。大学で 6年間も生物学を学んだというのに、俺は生命というものを何一つ理解できていないのではないかとすら思った。豊穰で、横溢で、強靱で、狡猾で、躍動し、謳歌し、満喫し、跋扈する生命が、それらが織りなす生態系が、そこにあった。原始の地球において、限られた生命資源を奪いあった遠い先祖の戦いを見るようだった。そして、苛烈であったろう戦いを勝ち抜いた種の末裔であることに、俺は深い感慨を抱くのだった。

生命の力強さに心打たれた俺は、鍋に熱湯を注いだ。

読書日記

ナンシー関/リリー・フランキー『小さなスナック』を読んでゲラゲラと笑う。「クレア」におけるナンシー関の連載は、これで全て文庫になってしまった。もう新作が出ることはない。彼女の急逝が惜しまれる。

謙虚たれ

「謙虚たれ」とはしばしば耳にする言葉であるが、実は非常に高度な注文なのではないか。そんなことを最近よく思う。

【謙虚】ひかえめでつつましやかなさま。自分の能力・地位などにおごることなく、素直な態度で人に接するさま。(大辞林)

要するに、まずは「おごる」ことができるほどの「能力・地位」を身に付けなければならないのだ。「ひかえめでつつましやか」に振る舞うことは、それほど難しくはない。しかし、実力のない者がそのようにしたところで、それは単なる「分相応」であって「謙虚」ではない。

実力を養うことから謙虚への道は始まる。このことを、ゆめゆめ忘れてはなるまい。その上で、俺は自分に言わねばならない。「謙虚たれ」と。