- Generous Mind

2005/02/20/Sun.Generous Mind

自分が持ち合わせているものを眺めてみると、とても世間の多数派とは言えない T です。こんばんは。

マイノリティの代表

マイノリティのコミュニティでは、声のデカい人間の存在感が相対的に大きくなり、その結果、彼の性格がその少数派を代表するものと思われがちである。この現象は、往々にして他のマイノリティーにとって好ましくないものだ。人は誰でも、何らかのカテゴリーで少数派に属しているだろう。俺の場合、それは Mac とバイクである。Mac ユーザ、ライダーとも、社会的には完全な少数派だ。これらに関して、これまでに何度かイヤな(というほどでもないが)思いをしたことがある。

「声のデカい人間が少数派を代表する」とはどういうことか。バイクを例にするならば、それは暴走族の存在である。少数派たるライダーの、そのまた一部にしか過ぎない彼らのおかげで、一般人、特に中高年の方々におけるバイクに対する好感度は、著しいダメージを被っている。俺がバイクに乗っているという事実を知るや、途端に微妙不可思議な表情をされる紳士がいるのは事実である。仕方ないな、とは思う。彼らは多数派であり、一々少数派の事情を理解する必要がないからだ。かといって、別に俺が悪いことをしたわけでもないので、やはり釈然としない。

沈黙のマジョリティ

この日記を読んでいる人には Mac ユーザが(平均的な割合よりは)多いようなので、Mac に関して、似たようなことを経験された方もいるのではないかと思う。Win ユーザが Mac ユーザをどう見ているかは知らないが、多くの Mac ユーザは Win PC も所持しているし、持っていなくとも普通に Win を使うことができる。しかし Mac コミュニティで声がデカいのは、頑なに Mac しか使おうとしない人や、Mac すら使いこなせない人だったりする。

学会や就職活動には愛機を携行することも多いのだが、「ああ、Mac ですか」と言われることもある。「Mac ってことは、アレでしょ?」みたいな。研究機関なんかは世間に比べて Mac 率が高いのだが、それでもある種の解析プログラムなどは Mac で動作しないこともある。「Win を使えますか」なんて聞かれて、バカにするなと言いたいところだが、「ええ使えます」としか答えることができない。バイクと同じで、これも先方が悪いことなんて一つもないんだけれど、やはり釈然としない。

マイノリティの闘い方

高速道路の利用
バイクが高速道路に与える損耗は、自動車のそれの 1/10 以下だといわれているが、高速道路の利用料金はバイクも普通自動車も同額。また、高速道路におけるバイクの2人乗りは禁止されている。同じ料金を支払いながら、ライダーには誰かを乗せて快適に長距離を移動する権利が与えられない(2005年 4月から二人乗りは解禁となった)。

マイノリティであるからこそ、声を大にしなければならないこともある。例えば、ライダーは高速道路の利用において、ドライバーに比べて圧倒的な不利益を被っている。少数派は抑圧を受けやすいから、理不尽や無理解とは意識的に闘わなければならないのは確かだ。が、それ自体が目的となるのは困る。元来マイノリティは選民意識が強く、しかも多数派に対する孤独感があるから、ますますエリート指向に拍車がかかる。攻撃的になりやすい素地があり、これに正義感が加わるから手に負えない。しかしそれはむしろ、他のメンバーにとって迷惑でしかない。

俺はバイクや Mac の素晴らしさをよく理解している。だからといって、それが自動車や Win をこきおろす理由にはならない。自動車には自動車の、Win には Win の美点がある。ムキになって多数派を攻撃しても、前提がトンチンカンなものになりやすく、かえって相手の嘲笑を買うことになる。「Mac ってことは、アレでしょ?」となるわけだ。

……愚痴っぽくなってしまったなあ。要するに「足の引っ張り合いはやめよう」ということが書きたかったわけで。フェミニズムの運動でも、よくこの問題が取り沙汰されており、様々なことに通じるのではなかろうか。広い心で生きたいものである。