- 「しのぎ」の 1年

2004/12/31/Fri.「しのぎ」の 1年

反省、反省の1年だった T です。こんばんは。

大晦日の 1日

大晦日を下宿で迎えるのは初めてである。少し早起きして軽く掃除をした後、買い物に出かけた。今日は(この地方にしては)結構な量の雪が降っている。頭の雪を振り払いながら近くのスーパーへ。酒と年越し蕎麦、もろもろの食料品を買い込む。部屋に戻ってきてから両親に電話すると、もうやることがなくなった。このまま酒でも飲みながら半日が過ぎると、早くも 2005年である。

今年は色々とあった。色々あるのは毎年同じだが、何というか、「我慢のゴルフ」的な1年とでも言えば良いだろうか。阿佐田哲也が書くところの「しのぎ」に近い感覚である。

しのぐ

この「しのぎ」はなかなか説明が難しい、含蓄の深い言葉である。自分に振りかかる攻撃をかわしているのではなく、しっかりと喰らいながら耐えている。耐えてばかりいるのではない。反撃の様子もうかがっている。しかし、この「反撃」は、相手に勝つためのものではない。「勝ち」を狙ってはいけない。どうにか「負けない」ためにする反撃なのである。最終的にイーブンよりも少し上、水面から口と鼻だけを出して、何とか呼吸ができる、息ができれば御の字、そういう状態が「目指すところ」なのである。そのためだけに、しのぐ。

出発地点からしてマイナスの発想である。それに共感できるのは、男特有の「滅びの美学」みたいな点に関してであって、実生活で「しのぐ」奴は負け犬なのではないか。「しのぎ」が魅力的に見えるのは、それが阿佐田哲也が描く博打の世界での倫理だからだろう。阿佐田哲也をヘラヘラと読んでいた20歳の頃は、そんなふうに考えていた。

どうも違うぞ、と思い直したのは最近である。「しのぎ」は「我慢」でも「雌伏」でもない。これらの精妙な違いに気付けたのが、今年最大の収穫かもしれない。新年を迎えるに当たって、あまり景気の良い話でなくて恐縮だが。

読書日記

マルコム・E・ラインズ『物理と数学の不思議な関係 −遠くて近い二つの「科学」』を読了。これはいずれ「Book Review」で御紹介しようと思う。それにしても、ハヤカワ文庫の<数理を愉しむ>シリーズはハズレがない。今度は、E・T・ベル『数学は科学の女王にして奴隷』を読んでみようか。

御挨拶

それでは皆さん、良いお年を。来年もよろしくお願い致します。