- 「普遍論」補論

2004/08/06/Fri.「普遍論」補論

今日はクーラーなしの生活に挑戦している T です。こんばんは。

クーラーを切ってしまうと、我が豪邸には扇風機もないので、あとは窓より入り来る風だけが頼みである。暑いので、基本的に全裸。これでビールを飲みながら、ビートルズの曲に合わせて踊ったりしている。摘発されると困るので、カーテンだけはしっかりと閉めている。

普遍性 - 水平的な、あるいは垂直的な

ビートルズばかり聴いているのもアレなんで、気分を変えて Led Zeppelin や van Halen をかけたりすると、その演奏が神のように思えるので笑える。だからといって、ビートルズの価値が何ら落ちるわけではないが。ストーンズだって、ヒドいサウンドの曲はいっぱいある。時代的限界というのも、勿論ある。

当たり前のことだが、音楽ってのは演奏だけで善し悪しが決まるわけではない。小説や漫画でもそうだが、文体や絵柄というやつは、すぐに古びていく。しかし、それでもなお残っていくものがある。そういった創作物は、恐らく人間のイデア的な本質を刺激するものなのではないか。平たく言えば「普遍性」というやつだ。それがあるからこそ、日本人でも英米人の楽曲に感動できるんだと思う。

ところで、上段で例に挙げた「演奏」「文体」「絵柄」など、これらは一括すると「技術」のことである。ここで話がひっくり返るのだが、こと「普遍性」となると、実は「技術」の方がそれを獲得しやすい。自分以外は演奏できないサウンド、誰にも書けない文章、真似することができない絵、そういう最先端の技術は、それだけで万人がその価値を容易に理解できる。普遍的なわけだ。

しかし、技術というのは必ず古くなる。つまり「技術による普遍性」というのは、同時代的ということでもある。このような水平方向への伝播は「普遍論」にも書いたが、やはり「普遍」を論ずるからには、時間軸に沿った垂直方向への波及についても触れなければならない。というか、垂直方向に広がる原動力こそが「イデア的」なるものの正体なんじゃないかと言いたかったわけだが。ちょっと寄り道し過ぎたかな。

バイク日記

久々に空港までツーリング。空港までの道は、パトカーがよく走っていることを除けば、広くて快適、アップダウンやコーナーも適度にあって楽しめる。おまけに無料駐車場まであるし。で、到着したら、搭乗するわけでもないのに、空港内のレストランで飛行機を見ながら飯を食う。ただのバカなんだが、たまにやると面白い。