- 不義理

2004/05/09/Sun.不義理

各方面に不義理を働いている T です。こんばんは。

GW が終わって、就職関係の動きが活発になってきた。これの優先順位は当然 1位であり、その座は不動である。そのため(というと言い訳になってしまうのだが)、色々と連絡を怠ったり、お誘いを断ったりと、勝手な真似ばかりしている。大変申し訳ない。

昨夜も、就職活動で使うために準備しているスライドが、カシャカシャと夢に出てきた。はっきりいって病気である。この病気が癒えるまでは、まだまだ義理を欠くこともあると思うと、まことに忸怩たるものがあるが、どうぞ許してやって下さい > 各位。

フェイズが違う
生理学、遺伝学、形態学は、英語では physiology、genetics、morphology。扱う対象そのものが学問の名前となっている。

話を変える。自分の専攻を取り上げて言うのもなんだが、分子生物学というのは奇妙な学問である。生理学や遺伝学に形態学と、生物学の中にも色々あるが、これらは何がしたいのかがよく理解できる。生理や遺伝というのは現象だし、形態というのは具体的なモノである。こういった、確固たる現象・モノを研究する学問ってことだろう。

対して分子生物学、これは何だ。あまりにも漠然としている。英語では molecular biology だから、より正確に訳すなら「分子的生物学」とでもなろうか。要するに、生物を分子の観点から捉えたり、分子の集合として解釈するわけである。しかしそれは観念であり哲学であり思想だろ? 学問なのか? 少なくとも「生理学」や「遺伝学」の指す「学」とはフェイズが違うわな。

さらにややこしいのが、生物物理学、生物化学など、複数の学問が統合された分野である。生物物理と言われても、生物なのか物理なのか、両者の関係はどうなのか、全く曖昧である。ところが、生物物理学も英語にすると biological physics となって、これは生物学的物理学であるから、形容と主体がハッキリする。結論から言えば、訳し方が悪い。悪いというのが主観的なら、不正確といっても良い。誤解や誤読を許す余地のある訳し方であることは確かだ。

この手の問題は、日本語の総説を読んだり、日本語でレポートを書くときに顕現する。英語と日本語の相違点と科学の関係、などというテーマを話題にするとキリがないが、現在の「科学」のパラダイムに則った記述をするには英語の方が適しているのは明白である。善悪の問題ではない。そういう風になっているのだから、これは受け入れるしかない。というか、日本語で読み書きする方が苦痛な場合も多々ある。

アミノ酸・側鎖
アミノ酸の分子式は COOH-CHR-NH2。R が側鎖。側鎖の種類がアミノ酸の性質を決定する。例えば「側鎖の性質」を「アミノ酸の性質」と言っても間違いではないが、「側鎖の酸素原子」を「アミノ酸の酸素原子」と言うと、たちまち話が曖昧になる。

何が言いたいのかと言うと、つまり、自分の研究を易しく説明するのは途方もなく難しいということ。ある程度以上に複雑な概念を説明するには、やはり難しい単語を使用するのが良い。良い、というのも主観的だな。正確に伝達できるということである。難しい単語というのは、適用できる範囲が狭いというのと、ほぼ同義。特異性が高いわけである。だから正確でもあるわけだ。

極端な例を挙げるならば、「アミノ酸」「側鎖」の違いである。大抵の場合は「アミノ酸」で済むかもしれないが、どうしても「側鎖」という言葉を使わなければならない場面に出くわすこともあろう。そのとき相手が「側鎖」という言葉(概念)を知らなければどうするか? 説明するか、それとも「アミノ酸」で通すか?

知らない、というのが明らかな場合はまだ良い。知っているのかどうかわからないケースの方が圧倒的に多い。わかりきったことを延々と説明するのは野暮であり、失礼であり、何よりも俺がアホに見えてしまう。しかし知らないかもしれない。キーとなる概念が不明確のまま、どんどんと話を先に進めたとしても、それは意味不明な言葉の羅列となってしまうであろう。

悩むところだ。まだまだ病気は完治しそうにない。