- 地方から見た東京論

2004/03/30/Tue.地方から見た東京論

2時間の就職活動のために合計 8時間の移動をした T です。こんばんは。

就職活動で東京に行ってきた。東京という街は、住んでいる人には何の感慨もないのかもしれないが、俺のような者には、訪れるたびに色々と考えさせられる場所である。

ところで、前回の日記で「土地の命名権は天皇の大権、例外は戦国時代と明治維新」と書いたのだが、よく考えてみると、廃藩置県は明治政府が行ったもので、その長は明治天皇である。だから廃藩置県も、天皇の大権の行使と解釈できなくもない。

廃藩置県で地名をガラリと変えたことに、俺は賛成である。日本の権力闘争は、ずっと上層階級のものであって、基本的に一般大衆とは直接の関係がない。百姓レベルでは、せいぜい年貢の納め先が変わるだけのようなものだったのではないか。そしてこれは、実は明治維新でも同じだったのではないかと思うのだ。確かに維新では、多くの下級武士や町人・農民が活躍したけれど、それもこれまでの歴史に比べてと言うだけで、さて、果たして本当に外国の驚異を感じていた一般庶民がどれくらいの割合に達していたのかとなれば、それはやはり絶望的な数だったのではないか。当時の市井の人達が、徳川幕府と明治政府の違いを、本当に理解していたのだろうか。まことに疑問である。

これまでの権力推移では、それでも良かった。しかし明治維新がそれでは困る。相手は外国なのだ。明治政府は「時代が、制度が変わった」ことを、国民に徹底的に理解させる必要があった。ところが相手は、何百年も同じ土地を耕してきただけの農民がほとんど。彼等の意識を変えるにはどうすれば良いか?

そこで考え出されたのが、彼等が命の次に、あるいは命よりも大事に考えている「土地」の名前を変えてしまえ、という方針ではなかったのかと思うのだ。これはわかりやすい上に、相当の影響力があったと想像する。明治維新における土地の改名を、だから俺は支持する。

さて、ここでようやく東京に話を戻す。まず気になるのが、「東京」という、あまりにも安直なネーミングである。今の語感で言うならば「東・京都(ひがし・きょうと)」と同意だろう。天皇陛下が遷座されるにしては、これは安易に過ぎないか。

勿論、徳川家康が開いた「江戸」に、そのまま遷座はできなかっただろう。だったら、もう少しマシな名前にしても良かったと思うのだが。それ故に俺は、東京への遷座は最初から一時的なものとして考えられていたのでは、と推測している。大久保利通の大阪遷都論もあったし、それほどまでには「江戸」に執着はなかったのではないか。

しかし、日本が東京を中心に回るようになってから、我が国は戦争に継ぐ戦争の歴史を歩むことになる。いきおい、遷都や遷座などといった悠長なことはしていられなくなる。結局、天皇陛下が京都へお戻りになられる暇もなく、昭和20年の終戦まで、アッという間に時が過ぎ去ってしまったのではなかったか。

21世紀になった今、俺が提案したいのは、天皇陛下が御所を京都にお戻しされることだ。断っておくが、別に俺は京都人でも、その手先でもない。やはり日本国にとって、この位置関係が一番座りが良いと思っているだけだ。日本国憲法により、完全に天皇家は政治と分かたれた。だからこそ、天皇家はフリーで東京から離れ得る立場にあるのではないか。昭和天皇では難しかっただろうが、今上陛下であれば、それは充分に可能だと思う。

この遷座には副次的な効果が期待できる。以前から議論されている東京遷都論だ。遷都する必要はないかもしれないが、少なくとも機能分散は絶対にしなければならないだろう。東京に行くたびに思う。集中し過ぎなのだ。天皇陛下の遷座が、この動きの呼び水になり得ると俺は思う。官庁がグダグダ言うばかりで、ちっとも動こうとしないのは、要するに、自分だけ動いて他が動かなかった場合が心配だからだろう。だからといって、足並み揃えて引っ越すには、今の日本政府は大き過ぎる。誰かが率先して移動しない限り、今の過密状態からは抜け出せないと思うのだ。

天皇遷座が実現すれば、確実に宮内庁は東京から出て行かねばならない。これは、絶好のケース・スタディになると思うんだが。そうすれば重い腰も上がるのではないか、というのは俺の甘い期待か。