- Diary 2004/03

2004/03/31/Wed.

就職活動を始めてから、大学のランク付けが気になっている T です。こんばんは。

今日で 3月も終わり。早いものだ。明日から国立大学が独立行政法人となる。大騒ぎしていた割には、特に何かが変わるという気配はない。が、何にせよ、2004年 4月 1日から「元国立大」となることは事実。俺は独立行政法人とやらの、最初の 1年間を付き合うことになるわけだが、果たしてどうなることやら。

つまらないことを色々と考えてしまう。

「元国立大」って人名みたいだな。「もとくに・たつひろ」とでも読ませるか。

受験などでも「国公立」という呼称が使えなくなる。「独公立」とでも書くのか。これではドイツの公立みたいではないか。

国立(くにたち)という市がある。大学を作ったら面白いのに。国立大と書いて「くにたちだい」と読む。私立だったら更に愉快になるな。私立国立大学。意味わかんねえ。

財団法人や社団法人は「(財)」や「(社)」と略す。ってことは、見たことないけれど、独立行政法人はやっぱり「(独)」と略すんだろうな。「(独)東京大学」か。仮に山田太郎という名の教授がテレビに出れば、テロップが

「山田太郎 (独)東京大学教授」

となるのだろうか。うわっ、コレはヒドいな。まずは「お前、ドイツ人かよ!」というツッコミが目に浮かぶ。ちょっとひねって「独身ってアピールしたいのかよ!」と言うのも使える。それがテレビでよく見かけるような、勘違いイケメン教授だったら尚更だ。さらに「この教授、テレビなんかに出てるから、周りの教授から総スカンを喰らって独りぼっちなのかなあ」などと呟いてみるのも面白い。

ちょっと遊び過ぎか。まあ、大学教授なんて、一部を除けばギャグの対象にしかならんしなあ。

明日から 4月。学生人生最後の 1年が始まる。

2004/03/30/Tue.

2時間の就職活動のために合計 8時間の移動をした T です。こんばんは。

就職活動で東京に行ってきた。東京という街は、住んでいる人には何の感慨もないのかもしれないが、俺のような者には、訪れるたびに色々と考えさせられる場所である。

ところで、前回の日記で「土地の命名権は天皇の大権、例外は戦国時代と明治維新」と書いたのだが、よく考えてみると、廃藩置県は明治政府が行ったもので、その長は明治天皇である。だから廃藩置県も、天皇の大権の行使と解釈できなくもない。

廃藩置県で地名をガラリと変えたことに、俺は賛成である。日本の権力闘争は、ずっと上層階級のものであって、基本的に一般大衆とは直接の関係がない。百姓レベルでは、せいぜい年貢の納め先が変わるだけのようなものだったのではないか。そしてこれは、実は明治維新でも同じだったのではないかと思うのだ。確かに維新では、多くの下級武士や町人・農民が活躍したけれど、それもこれまでの歴史に比べてと言うだけで、さて、果たして本当に外国の驚異を感じていた一般庶民がどれくらいの割合に達していたのかとなれば、それはやはり絶望的な数だったのではないか。当時の市井の人達が、徳川幕府と明治政府の違いを、本当に理解していたのだろうか。まことに疑問である。

これまでの権力推移では、それでも良かった。しかし明治維新がそれでは困る。相手は外国なのだ。明治政府は「時代が、制度が変わった」ことを、国民に徹底的に理解させる必要があった。ところが相手は、何百年も同じ土地を耕してきただけの農民がほとんど。彼等の意識を変えるにはどうすれば良いか?

そこで考え出されたのが、彼等が命の次に、あるいは命よりも大事に考えている「土地」の名前を変えてしまえ、という方針ではなかったのかと思うのだ。これはわかりやすい上に、相当の影響力があったと想像する。明治維新における土地の改名を、だから俺は支持する。

さて、ここでようやく東京に話を戻す。まず気になるのが、「東京」という、あまりにも安直なネーミングである。今の語感で言うならば「東・京都(ひがし・きょうと)」と同意だろう。天皇陛下が遷座されるにしては、これは安易に過ぎないか。

勿論、徳川家康が開いた「江戸」に、そのまま遷座はできなかっただろう。だったら、もう少しマシな名前にしても良かったと思うのだが。それ故に俺は、東京への遷座は最初から一時的なものとして考えられていたのでは、と推測している。大久保利通の大阪遷都論もあったし、それほどまでには「江戸」に執着はなかったのではないか。

しかし、日本が東京を中心に回るようになってから、我が国は戦争に継ぐ戦争の歴史を歩むことになる。いきおい、遷都や遷座などといった悠長なことはしていられなくなる。結局、天皇陛下が京都へお戻りになられる暇もなく、昭和20年の終戦まで、アッという間に時が過ぎ去ってしまったのではなかったか。

21世紀になった今、俺が提案したいのは、天皇陛下が御所を京都にお戻しされることだ。断っておくが、別に俺は京都人でも、その手先でもない。やはり日本国にとって、この位置関係が一番座りが良いと思っているだけだ。日本国憲法により、完全に天皇家は政治と分かたれた。だからこそ、天皇家はフリーで東京から離れ得る立場にあるのではないか。昭和天皇では難しかっただろうが、今上陛下であれば、それは充分に可能だと思う。

この遷座には副次的な効果が期待できる。以前から議論されている東京遷都論だ。遷都する必要はないかもしれないが、少なくとも機能分散は絶対にしなければならないだろう。東京に行くたびに思う。集中し過ぎなのだ。天皇陛下の遷座が、この動きの呼び水になり得ると俺は思う。官庁がグダグダ言うばかりで、ちっとも動こうとしないのは、要するに、自分だけ動いて他が動かなかった場合が心配だからだろう。だからといって、足並み揃えて引っ越すには、今の日本政府は大き過ぎる。誰かが率先して移動しない限り、今の過密状態からは抜け出せないと思うのだ。

天皇遷座が実現すれば、確実に宮内庁は東京から出て行かねばならない。これは、絶好のケース・スタディになると思うんだが。そうすれば重い腰も上がるのではないか、というのは俺の甘い期待か。

2004/03/28/Sun.

郷土自慢をさせるとウザいくらいに語り続ける T です。こんばんは。

朝晩はまだ肌寒かったりするが、それでもここ数日、昼間は非常に暖かい。それで、今日はツーリングにでも行こうかと思ったのだが、バイクに乗るにはあまりにも上腕二頭筋が痛いので断念した。今では当然のことのようになってしまったけれど、それでも筋肉痛が翌日に残るなんて考えられなかった時期が、ほんの数年前までは確かに存在したのだがなあ。動物としてのピークを確実に過ぎってしまった、そんな自分が少し悲しい。俺の 10代を返せ!

週が明ければ、就職活動のために東京へ行くことになっている。道中の暇つぶしのため、本屋で何冊か仕入れてこようと出かけたのだが、結局、何も買わずに帰ってきてしまった。帰ってきたところで別に何もやることがないことに気付き、せっかく天気が良かったのだからもう少し出歩いていれば良かったなあ、などと窓から晴天を眺めて恨めしく思う。

さて、全然関係のない話を書く。昨今、市町村の合併が大きな話題になっている。合併してスリムでエレガントな行政にしようとする傾向は歓迎だ。どんどん統廃合してほしい。

ただ、一つだけ気に喰わないことがある。新しい行政区の名称に関してだ。これは合併ではないが、「さいたま市」に代表されるような、極めて頭の悪そうな名称は何とかならんのか。合併にしてもそうだ。合併したなら、その合併した地区を指す代表的な地名があるだろ。どうしてそれを採用せず、新たに名称を募集したりするのだ。

あのな、古来から土地の命名権は天皇の大権なんだよ。愚民どもがアレコレ言って変えられるほど、地名というのは軽々しいものではない。「地名は言葉の化石」といって、非常に大切なものなのだ。戦国末期には、織田信長を嚆矢として、幾つかの有力大名が地名変更を行ったが、それも一過性のものであり、今まで民衆が地名を変更した歴史なんてこの国にはなかった。戦国と明治維新だけが例外であるが、それすら、時の権力者のみが許されたものだったし、新しい時代を作るための必然性もあった。

それが今は何だ。土地の歴史を無視した、当て字や平仮名のオンパレードじゃねえか。ふざけるな。まさか「さいたま市」の市議会議員で「近頃の子供達の漢字能力は〜」なんて言っている奴はいないだろうな。馬鹿もほどほどにしろと言いたい。腹を切れ、腹を。

田中康夫長野県知事が、「信州」という言葉を積極的に使用すると言っている。当然だろう。「長野」と「信州」じゃ、言葉の格が全然違う。「信州県にする」とまで言うと問題があるのだろうが、一般的に長野県を指して信州と呼称する分には、全く違和感がないし、むしろそれが自然なことなんじゃないか。

昨日も義兄達と話していたのだが、昔の行政区分を復活させたらどうか。どう考えても「播磨国風土記」や「出雲国風土記」からの土地を「兵庫」や「島根」と呼ぶのには無理がある。「出雲」と「島根」、明らかに言葉の重みや格調が違うだろう? もしも違いがわからないと言うのなら、それこそ国語教育や歴史教育が誤っている証拠じゃないのか。

流行の新地名を見る限り、取り返しが付かないくらい誤り続けているのは明白だがな。アホばっか。ああ、ヤダヤダ。俺の好きな日本はどこに行ったんだろう。

2004/03/27/Sat.

筋肉痛の T です。こんばんは。

にはふ兄が下宿を引き払うというので、引っ越しの手伝いに馳せ参じた。荷物は既に梱包されており、KID JOE 兄を含めた 3人で、これらを階下へ下ろすだけなのだが、いやはや、これが思ったより大変であった。にはふ兄の部屋は3階にあり、一々階段を上り下りしなければならない。それは仕方がないとしても、書籍の詰まった段ボールの重さ、これはどういうことだ。

にはふ兄は俺同様、家具は最低限しかなく、衣類もそれほど多くはない。荷物の約半分が書物である。これがメチャクチャに重い。運搬自体は 1時間ほどで終わったのだが、その頃には握力が半ば失われていた。俺も引っ越すときには気を付けねばならんなあ、と思う。やっぱ、本は重い。しかしだからといって、売り払うなどという選択肢は俺には(そして多分、にはふ兄にも)ないんだよなあ。

下ろした荷物は、にはふ兄の御父君・御母堂が車で運び去る手筈だったが、一度に載りきらず、予定を変更して2回に分けて搬送することに。1回目と 2回目の間に、3人でお好み焼きを食い、帰りにアルコールを買って、何もないガランとしたにはふ兄邸で車座になり、3時間ほど最後の酒盛り。

2回目の荷物とともに、にはふ兄は去って行った。大兄の新しい生活に幸あれ。

2004/03/26/Fri.

今日も早起きしたけれど、吉野家には行かなかった T です。こんばんは。

帰宅してからの楽しみがネットだけではあまりにもアレかなあ、と反省し、ギターを引っ張り出して練習している。前からの課題だったアルペジオを中心に、運指メニューを組んで練習しているのだが、指がつりそうになるばかりで、なかなか上達しない。一朝一夕には会得できないのはわかっている。せいぜい、練習するのは日記を書いてからにした方が良い、ということだけは学んだ。そうしないと、指がダルくてキーボードが打ち辛い。

俺は頭が堅いので、何かを始めるときには、最初に理論を学ぶことが多い。趣味なんかを始めるとき、とりあえずその世界に入り、色々と体験してから、後でその理屈や背景、思想や歴史を知るケースと、まずはテキストベースでそういったものを勉強してから、じゃあやってみるかというケースがあると思う。人それぞれだし、趣味なんだからどっちでも良いが、俺の場合は圧倒的に後者の方が多い(ゲームをやる前に、必ず最初から最後まで説明書を読むタイプ)。

ところがギターは例外で、とりあえず弾いて音を鳴らすところから入った。だから、TAB 譜があれば何とか弾けるが、楽譜は読めない。C コードの弾き方は知っているが、何故それが C の音になるのか、そもそも何でその音を C と呼ぶのか、そういったことが全然わからない。

これではイカンと思い、解説書を読んだりするのだが、さっぱり理解できない。どうして理解できないのかもわからない。音階って論理的なもんだろう? しかも結構厳密なんだろう? それはわかる。しかしそうだったら、文章で説明してあればわかるはずなんだがなあ。何でわからないんだろ、と自分が情けなくなる。その前に腹が立ってしまうんだけれど。

まあ、弾けたらそれでいいさ。などと開き直るから練習にならない。気が付けば、弾ける曲をひたすら繰り返している。これでは上達せんわな。最後には腕がダルくなって、いつも『Twist and Shout』をコード弾きするハメになる。コードが三つしかないからな。簡単だ。

2004/03/25/Thu.

ついに 1週間連続で朝飯を吉野家にて喰った T です。こんばんは。

本日は卒業式。大学・大学院を卒業・修了された方々、おめでとうございます。

ちらっと思ったのだが、アンケートの母集団って「アンケートに答えた人達」なわけで、それって、サンプリングしたデータに最初からバイアスがかかっていることにはならないのか。アンケートに答えなかった人達の集合が、アンケートに答えた人達の集合と同じ傾向を示す保証はあるのか。

人文科学の分野によっては、アンケートベースの数値モデルが提出されたりもするのだろうが、そのような論文では、この問題をどう扱っているのか。あるいは問題として意識すらされていないのか。俺は門外漢だからよくわからぬが、疑い出すとキリがない。そもそも、アンケートに素直に回答しているかどうかを、どうやって確かめるのだ? データの信憑性は何によって保証される?

自然科学だって同じようなものだけれど。特に生物の場合、in vivoin vitroin silico では、全然結果が違うということもある。それゆえに、論文などで結果を書くときには、一々「vitro では〜」と、ウザいくらいに断りを入れる。入れざるを得ない。

データを疑っていては何も始まらない。だから平素は疑問に思うこともないのだが、しかし「疑わない」のと「疑うことを知らない」のとでは、全く意味が違うわけで。

「これはアンケート結果に限ってのことですよ」と言うための学術用語、例えば「in enqueto」なんていうものがあるのかなあ、と気になったりする。

2004/03/24/Wed.

6日連続で朝食は吉野家の T です。こんばんは。

吉報はいつも一人でやって来るが、凶報は必ず友人を伴って現れる。誰の言葉であったか。それにしてもまあ、ロクでもないことというのは、現れるときは次から次へと途切れることがない。しかも大半は公私を問わずだから勘弁してほしい。どちらか一方にのみ現れるということは、まずもってない。かような事態に直面したときは、素直に諦め、ただ時が過ぎ去るのを待つのみである。これが一番失敗がなくてよろしい。生活の知恵だな。

さて、今日はネガティブなニュースを一つ。ここ数年、大学生の自殺が増えているらしい。割合で見ると、上の学年ほど自殺しやすい。このことから、どうも彼等は就職難・進路の迷いを苦に命を絶っているのではないかという分析がされていた。

真偽のほどは知らぬが、頷けぬ話ではない。就職活動を始め出しても、研究室での負担は減らぬどころか増えるばかり。忙しい中で時間を作り、いざ就職活動をしてみたところで、(俺はまだそんな経験はないのだが)人間否定まがいの面接を喰らった挙げ句、アッサリと落とされる。不採用の通知は判を押したように同じで、「まことに残念ながら〜」で始まるメールが届くだけ。首の一つや二つ、吊りたくなる気持ちはよくわかる。

俺はヒューマニストではないから、「生きていれば良いこともあったろうに」などと、そんなお優しい言葉で自殺を否定する趣味はない。本人が死ぬって言うんだから、それしか道は残っていなかったんだろうさ。本人の苦悩を、赤の他人が同じボリュームで感じられるわけがない。等しく感得しようとする姿勢は絶対に必要だけれども、そこに到達すること自体は無理だと、そう俺は思うわけだ。

最後にこれだけは言っておきたい。ニュースが報じていたが、大学の教官なんかに学生の自殺予防対策などさせるな。死のうかと考えている奴の背中を押すことになるぞ。マジで。

2004/03/22/Mon.

今朝も吉野家の豚丼でブレックファースト。< 書いた後、物凄い違和感に襲われた T です。こんばんは。

今日は午後から、今年度いっぱいで退官される N島、N田両教授の最終講義という形でセミナーが開かれた。N島先生の提案される生物時計のモデルは、今まで聞いたことのないような新しいものだったし、N田先生は、実験写真の美しさと、突っ込みどころのありすぎる余談のギャップが楽しい。

学生時代から数えると、お二人とも 40年以上の時間を研究者として生きてこられたわけだ。それを辞めるっていうのは、どういう気持ちなんだろうか。他の職業にも当てはまるのかもしれないが、やはり自分の専門分野というのは気になり続けるんだろうな。たまに PubMed で、キーワード検索とかしたりするんだろうか。アブストとか、ついつい印刷してまうのかもしれない。

今日は一日中雨だったので、ちょっと湿っぽく書いてみた。

2004/03/21/Sun.

久し振りにバイクに乗った T です。こんばんは。

曇っていた上に少し寒かったのだが、早起きしたのでバイクを走らせることにした。いつものように山の中へと入って行く。空気が湿っぽいせいか、それほど花粉は飛散していないようで、花粉症が出なかったのは幸いだった。しかしやはり寒い。現在、免許証の点数が残り一点という俺は、どのみち大したスピードを出すわけにはいかない。制限速度 + 10 km/h の安全走行でツーリングを楽しんだ。これくらいなら、それほど寒くない。

バイクに乗り始めて三年、スピードを出さなくともライディングを楽しめることがわかってきた。買ったばかりの頃は嬉しくて、とりあえずメーターをブン回しとくか、などとバカなことをやったもんだが(もう絶対にしません)、そもそも、風防など全くない俺のようなネイキッド・バイクでは、120 km/h も出せば身体が吹っ飛びそうになって、それ以上はいくらスピードを出しても同じなのである。バイクには、もっと他の楽しみ方もある。

ライダー達がバイクの魅力を語るとき、必ず「爽快感」というキーワードが含まれていると思う。確かに、むき出しの身体に風を浴びる解放感は、何物にも変え難い。しかし、それだけならオープンカーと似たり寄ったりだろう。バイクとの一体感、などとも言われるが、そういう感覚を支持しているものの一つに「加速感」があると思うのだ。

Power weight ratio という数値がある。馬力重量比とでも訳せば良いのだろうか。単位は kg/ps で、要するに、一馬力 (ps) あたり、どれくらいの重量 (kg) を引っ張っているのかという値である。この数値が小さければ小さいほど、エンジンの負担が少ないのはわかって頂けると思う。マシン・パワーというのは、単純に馬力や排気量だけでは決まらない。

例えば、俺のバイクはおよそ車重 200 kg、馬力が 50 ps だから、power weight ratio は 4 kg/ps である。これに対し、重量 1 t、馬力 100 ps の車があったとすると、その power weight ratio は 10 kg/ps である。カタログスペックだけを見ると、100 ps の方が馬力がありそうな気がするが、一馬力で引っ張る重さが 4 kg か 10 kg かとなると、50 ps でもバイクの方がよく加速しそうなのは、直感的に理解できると思う。勿論、いつも最大馬力が出るわけではないし、トルクとか色々な要素がからんでくるのだが、一つの目安にはなる。

この加速感というのは、やはり快感である。400 cc しかない俺の愛車でも、エンジンの回転数を合わせてシフト・アップすると、ドゴン!という感じで、凄まじい加速をする。そういう意味では、マニュアル・シフトであるということが非常に重要だ。同じバイクとはいえ、昨今流行の大排気量スクーターに俺があまり魅力を感じないのも、それがオートマティック車であるという事実に起因する。楽だし、快適だとは思うが、どちらかを選べと言うならマニュアルである。本当は両方欲しいけれど。

加速感というのは、実は低速域の方が感じやすい。30 から 60 km/h に加速するのと、100 から 130 km/h に加速するのでは、両者とも 30 km/h 分の加速なのだが、加速前後の速度比は前者が 2 倍、後者が 1.3 倍である。こと「加速感」になると、前者の方が「大きい」ということになる。そういう意味でも、あまりトップスピードにこだわりはなくなる。

勿論、こういった楽しみ方は能動的なものであるし、誰にでも、というわけにはいかないだろう。でも、それはひょっとして、どんな趣味にも当てはまる本質の一端じゃないかとも思うのだ。

さて、めちゃめちゃ前振りが長くなったが、もう少し書く。ちょっとイイ話を二つ。

コンビニにバイクを止めて一服していると、行楽途中と見られる家族連れが近寄ってきた。夫婦と、まだ小学校以前の息子という組み合わせである。息子が俺におずおずと近寄ってきて「バイク見せて下さい」と言う。否やはない。好きなだけ見るが良い、子供よ、と言うと(当たり前だが、こんな風に言ったわけではない)、嬉しそうな顔をして、舐め回すようにアチコチを見ている。まあ、各パーツの意味なんかはわからないんだろうけれど、とりあえず「メカ!」という感じが、彼には格好良く映るのだろうな。車ではこうはいかない。

見飽きたのか、息子はバイクから離れ、何やら父親に耳打ちしている。感想でも言っているのであろうか。すると今度は父親が近寄ってきて、「息子がバイクの写真を撮りたいと言っているのだが、撮影して良いだろうか」と訊いてくる。否やはない。好きなだけ取るが良い、父よ、と言うと、二枚ほど写真を撮り、礼を言って家族は去っていった。

最近、仮面ライダーがブームになっていたようだし、案外と、今の年齢一桁くらいの子供はバイクに感心があるのかもしれんな、などと思って缶コーヒーを飲み干した。彼等が新しい世代のバイク乗りに成長することを望んで止まない。

その後、しばらく乗り回してから吉野家に行った。残念ながら O 嬢は不在であった。ガランとした店内に、明らかにライダーな人がイクラ鮭丼を食っている。俺が豚丼を頼んで喰っていると、先に会計を済ましたライダーが店を出て行った。

彼がどんなバイクに乗っているのかが気になった俺は、飯をかき込みながら彼の行く先を見ていた。彼は店を出た後、俺のバイクに近づき、ポケットからカメラ付きの携帯電話を出すと、おもむろに撮影した。びっくりしたまま見ていると、彼と目が合った。彼は照れ臭そうに笑って、軽く会釈をする。そのまま彼は、白い HONDA CB400 にまたがり、颯爽と走り去って行った。

彼が何故、俺のバイクを撮影したかは知らない。ひょっとしたら、行く先々で出会ったバイクをカメラに収めているのかなあ、などと考えた。何か、ホノボノとした趣味じゃないか。撮られた俺だって悪い気はしない。何だか、丹精込めて育てた娘(いないけど)を褒めてもらったような、そんなこそばゆい感じだ。

とまあ、愉快なバイク日であった。日記が長くなってしまったけれど。

2004/03/20/Sat.

着たきり雀の T です。こんばんは。

おい、吉野家の豚丼ってうまいじゃねえか! ということで、昨日今日と、2日連続で朝から豚丼を喰ってしまった。これなら以前の牛丼並のペースで吉野家に通えそうだ。そう言えば、長らく O嬢(吉野家勤務の美人店員さん)にも会っていない。明日の昼も行ってみるか。

店員さんと言やあ、ラボからの帰りにクリーニング屋に寄ったのだが、そこの店員さんも可愛い上に愛想が良いので、しばらくはこの店を利用しようと決めた。自慢じゃないが、俺は下宿生活を始めて丸5年、まだ一度もクリーニング屋の世話になったことがなかった。布団、毛布、シャツ、全くクリーニングしてない。だから、クリーニング屋の敷地に入ったのは、今日が初めてなのである。店員さんが親切かどうかは、ビギナーの俺にとっては非常に重要なのだ。

大体、衣食住などと一括りにしているが、服に興味のない俺にとって「衣」なんてものが「食」や「住」と一緒に並べられているのが腑に落ちない。服なんて、買いに行くのが億劫なだけだ。ましてや、買った服を綺麗にするためだけに金を払うなんて考えられない。ゆえにクリーニングとは無縁であったが、Y シャツとなるとそうはいかない。就職活動で使うとなると尚更だ。

そういうわけで、よくわからんままに、カウンターに Yシャツを出したのだが、店員さんが「ハンガー吊り」にするか「畳み」にするかと尋ねてくる。いずれ持ち帰るのだから「畳み」の方が良かろうと思って、「畳んでくれ」と頼んだ。畳むと値が張るが良いかと言うので、構わんから畳んでくれと答える。ハンガーで吊ってもらったところで、持ち帰りにくい上に、そもそも俺の部屋には、もうハンガーをかける場所がない。どうせ畳まなければならんのだ。

それならハンガーで持って帰って、自分で畳めば良いだろうと言われるかもしれんが、シャツの畳み方なんて俺は知らねえんだよ(逆ギレ)。洗濯物だって、干して乾いたら、取り込んで床の上に山積みするだけ。朝起きると、その山の中から適当に服を選んで着る。そもそもだな、畳まないとシワになると言うが、俺が畳んだところでやはりシワになる。

服屋とかで、何だかよくわからんが、袖を複雑に折り畳んでシャツを四角にしているだろう? アレができんのだ。まず、折り目のところでピシッと折れない。一方の端を折り目正しくすると、反対側では折り目がズレてくる。そっちを直そうとすると、折角キチンとしたもう一方がズレる。そこで頭に血が上ってキーッとなる。「クソが!」などと怒鳴りながら、服を丸めて壁に叩きつけてしまう。二度と着たくなくなる。結局、それでいつも床に山積みだ。

そんな俺に代わってシャツを畳んでくれるというのだ。小銭を払うことに何の躊躇やあらん。

2004/03/19/Fri.

毎夜、ピンクレディーに励まされ、山口百恵に癒される T です。こんばんは。

就職活動のために書いた研究概要を誤って削除してしまった。ニヤリと笑ってからパソコンの電源を落とし、一服した後で、吠えた。

クサっていても仕様がない。公園に出かけ、缶コーヒーと煙草で一人花見。金曜日だからか、割と人も多い。みんな幸せそうだなあと思うのは、単なるひがみだということはわかっているさ。もう週末か。帰ってからもう一度研究概要を書き直した。就職活動のない週末はヒマだ。明日はラボに行くか、それとも部屋の片付けでもして過ごすか。Yシャツもクリーニングに出さねばならんしな。

ところで、Yシャツの語源が「White shirt」であるのは有名な話だと思うが、それでは白いシャツ以外「Yシャツ」と称してはならんのではないか。まあ、就職活動では白いシャツしか使わないからどうでも良いのだが。服装に興味のない俺としては、着て行く服が決まっているのはありがたい。制服というのは、やはり楽なものである。「貴方のセンスを感じさせる服装で面接に来て下さい」などと言われたら、間違いなく発狂する。

リーマン万歳。スーツ万歳。Yシャツ万歳。

2004/03/18/Thu.

毎日、今日こそは自炊をしようと思いながら、結局コンビニ弁当で済ましてしまう T です。こんばんは。

共同研究をして頂いている N大学の I先生が来られた。I先生は学識豊富にして人格円満、まこと教授の鑑のような方である。最近の実験結果について、色々と意見を下さり、有意義なディスカッションをさせて頂いた。ありがたいことである。就職のことも少し話題に出た。

I「君は就職するんだって? みんなもう大体決まっているの?」
俺「いえ。他の人も、ほとんどまだ決まっていないんじゃないかと思います」
I「そっか、まだなんだ。学校推薦枠とかあるんでしょ?」
俺「……(何だ、それは?)」
I「あ、ないのかな。それじゃあ大変だね」

さすがはN大学、これが格の違いというものであろう。ここで「学歴社会の弊害が〜」などと下らぬことを言うつもりはない。これは当然の差別なんだよなあ。差別じゃなくて区別、という詭弁を弄する気にもなれない。れっきとした、そして正当な差別である。それゆえに、必死になって就職活動をせねば、と決意を新たにする。

教授公募の裏話など、かなりディープな会話も炸裂した、エキサイティングなI先生との時間であった。

2004/03/17/Wed.

武術はからっきしの T です。こんばんは。

諸兄は甲野善紀という名前を御存知だろうか。古武術の実践的研究家で、身体の運動に関するユニークな説を展開している人である。数年前、巨人の桑田投手が教えを受け、驚異的な復活を遂げたときの、陰の立役者として有名である、と言えばわかるかもしれない。

この人は著書も結構ある。俺が知ったのは養老孟司との対談本がきっかけだったのだが、なかなか面白いので他の本も買って読んでいる。どの本も基本的なスタンスは変わらない。古武術を研究し、それによって得られた精妙な運動法、それと同時に日本古来の精神について述べるのが主な趣旨である。一スポーツマンだった俺としても、色々と学ばされる点があるのだが、実はこの部分はそこまで面白くはない。一番愉快なのは、彼が引用する古武術・古武道関係の文献だ。伝説の剣豪、神話的な格闘家が書き残した、あるいは彼等について書かれた文章が多数掲載されているのだが、これがどれもこれもメチャクチャに面白い。

今月、甲野善紀の文庫最新刊『表の体育 裏の体育』が出たので、早速買って読む。どうやら処女作が復刊されたものらしい。この本では、一章を割いて「肥田式強健術」なるものについて記している。これは肥田春充が創始した健康法で、古武術における「丹田」を応用した「聖中心」に重きを置いている。

この「肥田式強健術」を説明するため、著者は肥田の著書『聖中心道・肥田式強健術・天道療法』から多量に引用している。この引用文が凄いのだ。まず、肥田式強健術の要となる聖中心とは何か。肥田は独自の鍛練中に、突然これを頓悟する。

突如!! 未だかつて経験せざる処の、強大恐るべき力が、腰と腹との中心から迸り出た。
それは、床を突き通して、地中に入り、地球の中心を貫いて、ストーッ。無限の大宇宙を、無限に突き抜けて行った。オオ無限の力だ。無限の力!、無限の力!、オオ無限の力だ。−−身も心も震蕩する絶大の力、光明の揺めきだ。生命の躍動だ。これこそは真に、「活ける生命の泉」だ。

なんのことやらわからない。とにかくこれが聖中心を悟った瞬間の記述である。この聖中心を会得した肥田はどのような力を得たのか。「無限の力」とはどのようなものなのだろうか。

私は狂喜した。更に斜腹筋運動の気合応用練習法を試みて右足を力強く、踏みつけた瞬間……ボクッ−−オヤッ!! 杉の八分板は、綺麗に足の形に踏抜けているではないか。二回、三回、ボクッ、ボクッ、何の手応えもなく、踏抜けて仕舞った。第四回、ボキーッ、終に太い根太迄も、踵の形を立派に残して、ヘシ折れて仕舞った。この時の板も、根太も、今記念として私の道場に飾られてある。

「オヤッ」じゃねえよ! もう爆笑である。クセになりそうだ。どの本も、このような記述が目白押しなのでこたえられない。引用されているものの原本を読みたいと思うこともしばしばであるが、貴重な書籍であることが多く、そう簡単には手に入らなさそうなのが残念だ。

甲野善紀。彼にとって不本意な形ではあろうが、俺は愛読者である。

2004/03/16/Tue.

花粉症の T です。こんばんは。

俺は花粉症持ちなのだが、それほど重症というわけでもない。発症する年もあるが、そうでない年もある。発症の度合いは年々下がってきているのだが、どうも今年は当たり年のようで、少々困っている。思えば 2、3日前からクシャミの回数が増えてはいたのだが、今朝、外に出て目が痒くなるまで気付かなかった。

俺のような軽度の花粉症の人も多いと思う。発症するかしないかというのは、何によって決まるんだろうか。花粉の多寡も関係あるだろうが、しかし今年の花粉は例年に比べて少ないとも聞く。免疫に関しては、まだまだ明らかにされていない事柄も多い。一説では、システムとしての複雑さは神経系にも劣らないという。

免疫系と神経系は、システムとしての類似点も多い。どちらも記憶・学習という概念があり、処理された情報は逐次アップデートされる。高等生物でより進化している系、という共通性もある。

免疫系の研究者だった利根川進が、大脳生理学に分野替えしたのは有名な話だ。この様子は、立花隆が利根川進をインタビューした『精神と物質』という本に詳しい。思えば、この本を読んだのは高校生の頃だ。生物学は実に面白そうだという感想を持った記憶がある。大学院で分子生物学を専攻している現在の俺を決めた、ささやかな原因の一つにはなっているのかもしれない。

こうした本との出会いの意味は、少し時間を置かないとわからないと思う。俺の歴史好きの原因は、明らかに幼稚園の頃に友人に借りた「源義経」の伝記漫画であったはずだ。あれはビックリした。そもそも「歴史」という概念すら知らないのである。「伝記」というのも初めてだったのではないか。それが「源義経」なのだから、これは濃ゆい出会いであった。

その次が、これも漫画なのだが、横山光輝作画・山岡荘八原作の「伊達政宗」だったはずだ。これも濃い。何しろ独眼竜だ。漫画で読まずとも、このキャラはあまりにも漫画チックである。これでハマった。それから数々の人物にイカレ続けて今に至るというわけだ。

いかんな。脱線し過ぎた。まさか花粉症から伊達政宗に話が飛ぶとは。

2004/03/15/Mon.

強度の近視の T です。こんばんは。

最近は「マジカル・アイ」とかいうのが流行っているのか。生協にも本が山積みだった。説明しておくと、マジカル・アイというのは、立体視すると絵が飛び出して見えるというアレである。ノイズのような画像の下に、小さな丸い点が二つほど打ってあり、それをどうにかして見たら良いらしい。存在自体は昔からあるが、装いを新たに「マジカル・アイ」とは笑わせてくれる。おまけに「目が良くなる」んだと。けっ。商売としては品がないわな。

と、このように否定的な書き方をするのは、絵が飛び出て見えたためしがないからで、要するに負け惜しみである。正直に書くと、皆が見えているのに自分だけ見えていないのは非常に悔しいのだが、それも秘密である。

まあ、別に見えなくとも問題はなかったのだが、どうも昨今、論文のフィギュアにもこの手の画像が増えてきて困っている。特にタンパク質の立体構造に関する論文に多い。興味のあるタンパク質なら、俺だって飛び出ているのが見たい。そこで頑張って見ようとするのだが、やはり全然飛び出てこない。そこを我慢し、勉強のためと思って一心不乱に眼球を寄せたり焦点をボカしたりするのだが、それでも見えない。しまいに眼底が痛くなる。元々気が短くて癇癪持ちの俺は、最終的には「見えるかボケ!」と怒鳴るのがオチである。まことに腹立たしい。

ま、フルデジタルへの過渡期の産物だと思って気にしないことにする。ああ、さっさと論文ファイル上で、タンパク質の 3次・4次構造をグリグリと動かせるようになると良いのだが。

(技術的にはすでに実用段階に入っている。Protein Data Bank などでは、プラグインさえ入れれば、Web ブラウザ上でタンパク質をグリグリ動かせるところまで来ているのだが、あまねく環境で利用できるような形式で論文にデータが挿入されるまでには至っていない。規格の統一を望む)

2004/03/14/Sun.

長井秀和の物まねで大いに盛り上がった T です。こんばんは。

それでは、お話させて頂きます。

昨日は朝から出動。吉野家にて豚丼を食べる。結構旨いんだが、今の吉野家は、朝定食をいつでも食べられるようになっているから気を付けろ。納豆の消費量が増えているから臭いんだ。

昼から、Z氏の奥さんと子供の歓迎会と、帰国される U氏の送別会を兼ねて、日本庭園にてパーティ。天気も良く、風も穏やかで暖かい。咲き誇る梅を堪能しながら飯を食い、寝る。極楽。だからと言って、せっかく庭園に来たんだから、木々や池を見ろ。訪れているカップルをジロジロ見るんじゃない。カップルをジロジロと見ているオッサンもジロジロ見ない。そのオッサンと目が合ったからといって会釈をするな。

続けます。

パーティが終わってから、KID JOE 兄邸で義兄達と飲む。噂には聞いていたが、想像以上だった KID邸。12時間以上、ダラダラと話をし続けたが、実のある話は合計で 10分くらいしかなかったはずなんだ。間違いない。解散してから、腹が減っていたので、またもや吉野家で豚丼。クせになりそうだから気を付けろ。

以上、T でした。

2004/03/12/Fri.

引きこもりをやめつつある T です。こんばんは。

と言っても、深夜から朝方にかけてラボを徘徊しているだけなんだが。それでも、昨夜の実験でとりあえずの結果は出た。ようやく Dr. T に与えられた宿題を終えることができたかな、という感じ。少し嬉しい。

今日は大学の後期入試とやらで建物に入れないらしい。俺も大学には後期試験で入ったのだが、するとあれからちょうど 5年が経過したことになる。10年一昔などというが、いわば半昔も前のことだ。早いなあ。

サイトを軽くリニューアルした。前回の CSS 導入の効果は抜群で、今回はスタイルシートをちょろちょろっと書き直して、後は変更するタグを一括検索 > 置換で終了。あんまり呆気なかったので、少しコンテンツを追加した。

明日は、昼間は留学生の歓送迎パーティ、夜は義兄達と飲み。来週からは学校生活もサイト更新も本格的に再開するつもり。できたら幸せになれそうな予感。

2004/03/07/Sun.

雑誌好きの T です。こんばんは。

雑誌は好きなんだが、決まってゴミになることがわかっているので、滅多に買わない。特集をまとめた別冊やムックの類いは、後々読み返せるので買うこともある。雑誌自体は立ち読みで済ますことが多い。ゲーム雑誌はよく立ち読みするのだが、それにしてもなんだね、最近、女の子が銃を持っている絵がやたらと目に付く。

ゲーム関係の隣はホビー系の雑誌であることが多い。ここでも女の子が銃を持っている。模型関連のフィギュアしかり、ガン、サバイバルゲーム関係の表紙もそうだ。趣味のコーナーの付近には、大体、車・バイク雑誌がある。車はそれほどでもないが、バイクもやはり女の子が横に立っている絵が多い。バイクがゴツくなるほど、その傾向が強い。ハーレーなんか典型的だろう。

なんなんだろうね、これは。確かに、上で挙げたようなジャンルの雑誌の読者の多くは男性である。だから女性がグラビアを飾るのは、普通といえば普通なんだが。しかし、同じような読者層が想定されるパソコン関係、鉄道関連にはそういう傾向が見られない。少なくとも希薄である。

確かに、銃やバイクと女の子を並べると、絵として映える。まあ、「映える」と感じるのは男だけで、その感性は男性原理の支配下にあるのだろうな。要するに、簡単な対比による双方の強調効果だろう。銃やバイクは、男の憧れを多分に含んだ「益荒男 (ますらお) ぶり」で、隣に置かれた女の子は、男の誤った希望的観測に基づく「手弱女 (たおやめ) ぶり」というわけだ。この二つを隣接させることによって、より互いのベクトルは強化される。益荒男ぶりは、ますます益荒男ぶって、手弱女ぶりは、ますます手弱女ぶっているように感じる。そして、強化された二つのこの指向は、どちらも男によって心地よい。多分、そういう理由なんじゃないかな。

売れない国内科学系専門誌も、こんな感じのアートワークを試してみたらどうなんだ。売れるぞ。何だかんだ言って、サイエンスの世界はまだまだ男の方が多い。生物系なんて例外的に女性が多い方だが、工学系なんて男ばっかりじゃないか。その生態も、誤解と例外を恐れずに言えば、オタクと似たり寄ったり。

そこで科学雑誌への女性グラビア登用を提案する。ピペットマンで決めポーズをとる女の子。カフェテラスに陣取り、iBook で Mathematica を操るお姉サマ。グラビアが無理なら、広告でも良い。塩基配列を掲載するスペースがあるなら、その代わりに、シーケンサーの横にレースクインでも立たせてみろ。「世界最高速よ」とか言わせて。モーターショーみたいだな。これはこれで凄くシュールだ。見たいなあ。雑誌も売れると思うけどなあ。

などと不謹慎なことを書くとセクハラになりそうだな。もうなってるか。アメリカや、アメリカナイズされたサイエンスの世界でこんなことをやると大問題だろうな。しかし、あれはちょっとヒステリックに過ぎるのではないかね。個性個性と言うのなら、その人が持つ美貌も個性だろう。それを褒め称えて何が悪いというんだろうね。理解できんよ。

もっともこれだって、その女性が、自分の美貌を金銭的価値に置換する経済行為をしている場合にのみ限って「悪くはない」ということですよ。だから、プロのモデルやレースクインを起用するグラビアなら良いと思うのだが。それでも「不快を感じた」と言われて問題になったりするんだろうなあ。

いかん、長くなってしまった。この話題は含んでいる問題が根深いのかもしれない。

2004/03/04/Thu.

隠居に憧れる T です。こんばんは。

我が豪邸は 6畳である。こんな話を祖父母や年配の方にすると、必ず「狭い」と言われる。それは間違いないのだが、恐らく、彼等が思っているほど俺の感覚では狭くはない。これは多分、彼等の世代の住居と俺の世代の住居では、単位面積当たりの情報密度が全然違うからではないかと最近気付いた。

身近な例で言えば、MD などが良い例であろう。俺の本棚の片隅に積んである MD に収録されている曲を、全部レコードで集めるとどれほどの体積になるか。ビデオテープと DVD などもその一例だ。最近は何でも文庫になるようになったし、何しろパソコンとインターネットの存在がデカい。ネットのおかげで買わずに済んだ本がどれほどあることか。家電製品も小型で高性能になった。折畳み自転車、折畳みベッド、現代日本の工業製品に「コンパクト」という概念を無視したデザインは成り立たない。

2世代前の様式で生活するなら、俺の生活は絶対に 6畳では成立しないだろう。だから「狭い」と言われる。誰か、都市論の研究で「可処分面積率の変遷」でもやったら面白いんだが。可処分面積というのは俺の造語だが、この率は絶対に上がっていると思う。

現代では、誰もが鴨長明の方丈庵と同じ面積で生活することができる。隠居という言葉がなくなるわけだ。

2004/03/03/Wed.

T です。こんばんは。

もう時効なので書くが、というと言い訳がましいだろうか。今年はなるべく愚痴るまい、と思っているのだが、やはりリアルタイムだと情けないことを書いてしまいそうになる。その手の話題は時間をおいて、自分が納得してから記すのがベターだと気付いたのは最近のことだ。

(本当は書かないのが一番なんだが、それでは後から読み直すときに、自分の記録としては価値がなくなってしまうと思うのだ。まあ、個人の日記だから好きにするさ)

で、何が時効なのかというと、昨年の 11月頃に、本気で修士課程を中退しようと考えていたことなんだが、話はそれだけでは終わらない。当たり前だが、中退してプータローというわけにもいかないので、幾つかの企業に対して就職活動を行った。実は1社から「今年の4月から働いてくれ」という採用通知までもらっていたのである。大変ありがたいことだ。これが年明けくらいのことだったろうか。

この会社は俺の卒論、ひいてはレポートにまで目を通してくれ、具体的な実験のことも色々と話した。要するに、あるのかないのかわからない俺の科学的スキルを重視してくれたわけで、そこが何よりも嬉しい。

ただ、採用結果を頂いた頃には中退するという考えは撤回しており、非常に失礼ながら、就職の件は辞退させて頂いた。まことに申し訳ない限りである。ただ、修士中退という半端な経歴でもこのようなことがあるのだと、大いに就職活動に対する自信が持てたのは事実。ひょっとしたら稀に見る僥倖だったのかもしれないが。

やれやれ。スッキリした。胸のつかえが取れたところで、そろそろ引きこもりもやめるかな。

2004/03/02/Tue.

歴史好きの T です。こんばんは。

歴史の中でも日本史、特に戦国時代が好きで、本もよく読んできたつもりなのだが、いまだに頭の中でシーンを思い描けないのが戦場である。「何々軍、何万何千と、某々軍、何万何千が対峙し、今まさに戦が始まろうとしていた」なんて書かれてあっても、具体的にイメージすることは難しい。俺が人数的に何とか思い起こせるのは、甲子園球場 5万 5千人くらいが最大である。しかも、その規模の集団が軍装し、立地的に理に適った状態で臨戦態勢にある、となると想像の範疇を越えている。

武将の采配となると、一体いかなる方法で下知を飛ばしていたのか、皆目わからない。何しろ数万の人達が殺し合いをしているわけだ。総大将が「サッと軍配を一振り」したところで、誰が見ているというのか。そもそも見えるのか。実際には、早馬や伝令係などの具体的な伝達方法が存在したのだが、それにしても、本当に機能していたのだろうか。疑問である。

戦の方法論は、武家にとって秘中の秘だ。ゆえに、戦のやり方などが文書で保存されているような例はあまりない。これも、戦の様子がよくわからない原因の一つである。

その証拠に、江戸時代になると、武士でも戦のやり方がわからなくなる。そこで流行したのが軍学だ。軍学者は何も高等な戦術を講義したわけではない。武士が武士であり続けるため、大名家に戦のやり方を教えていたというのが本当らしい。つくづく江戸時代は平和だったんだなあと思わせるエピソードだ。

2004/03/01/Mon.

ピンクレディーに引き続き、今度は山口百恵のベストアルバムを借りてきた T です。こんばんは。

山口百恵のベストアルバムというだけあって名曲が多いのだが、やはりピンクレディーほどの新しさはない。今聞くと古いのはどうしようもない。30年も経っているので当然なのだが。

別に「古い・新しい」でのみ評価しているわけではない。やはり山口百恵の歌唱力は抜群だし、中には『プレイバック part 2』など、現在でも充分通用する曲も勿論ある。JR の CF で流れている『いい日旅立ち』なんて、もう古典的名曲だろう。素晴らしい。しかし同時に、サビの「♪ああ日本のどこかに私を待ってる人がいる」というフレーズが時代的限界かなあ、とも思うわけだ。今の感性なら「日本のどこか」ではなく「世界のどこか」となるだろう。「日本の」と歌うところに、この曲が古典として残った要素がある。それはピンクレディーほど新しくはない、という原因でもある。これはどちらが良いという話ではない。ノスタルジーを評価するかしないかは、その人の趣味だ。

ピンクレディーがどれだけ新しいか。一度、モーニング娘。あたりに『カルメン』でも『透明人間』でも歌わせてみたら良い。全く違和感がないんじゃないかな。

それにしても、ピンクレディーにしろ山口百恵にしろ、本当に美人だよなあ。昔の美人は凄い。