- 電子書籍に期待すること

2004/02/29/Sun.電子書籍に期待すること

何事に対しても保守的な T です。こんばんは。

電子辞書というものの便利さは認めるが、やはり辞書や辞典というのは、面倒臭くても自分で引く方が良い。分厚くて重くて、殴れば人を殺せそうなくらいデカい、そんな辞書が好きだ。要するに、書籍というハードウェアが好きなのである。だから、昨今取り沙汰されている電子書籍というものには、基本的に興味はない。

書籍というハードが宿命的に持つ問題は、情報量と体積が比例するということだろう。辞書が巨大になるゆえんである。しかしそれは、一目で外見的な情報量がわかるということでもあるから、一概に否定されるべきでもないだろう。

ところで、このハード・デザインがどう考えても不利益にしか働かないジャンルの書物がある。探偵小説だ。俺が最も愛読する分野の小説であるが、これに今までどれだけ泣かされてきたことか。探偵小説の魅力的な要素の一つに「どんでん返し」がある。ダミーの解決編(真犯人)が用意されており、読者が「こいつが真犯人か」と思ったところで、「いや、それは違う」「本当の真犯人はこいつなのですよ」と、ひっくり返すことによって、更なるカタルシスが味わえる仕組みである。

ところが、まだ小説が 100ページも残っている段階で解決編が提示されても、「これだけページが残っているんだから、これはダミーだな」と気付くわけである。これが悲しい。読者が真犯人の見当がついていない場合でも(つまりソフトウェアの設計は完全でも)、ハードの限界によって、ダミーがダミーとバレるのである。

電子書籍というものは、恐らく PDA のようなハードで読むようになると思うのだが、そうだとすると、情報量に関わらず体積は一定である。残りのページ数がわからなくなるのだから、誠に喜ばしい(当然、残りページ数を表示する機能は搭載されるだろうが、OFF にする選択肢も用意してほしい)。

こと探偵小説に限っては、電子書籍で読むようになるかもしれない。